デンマークの哲学者キルケゴールは『恐れとおののき』でこう述べています。
人は、自分が愛したものの偉大さに応じて、偉大であった。自分を愛した者は、自分の力の程度によって偉大になり、他者を愛した者はその献身によって偉大となった。しかし、神を愛した者はすべての人にまさって偉大となった。
人はだれしも、その期待によって偉大となった。ある人は可能なことを期待することによって偉大となり、ある人は永遠なるものを期待することで偉大になった、しかし、不可能なことを期待した人はすべての人にまさって偉大となった。
人は、その戦った相手の偉大さに応じて偉大であった。世と戦った者は、世に勝つことで偉大となり、自分自身と戦った者は、自分に打ち勝つことで偉大となった。しかし、神と戦って、自分の無力によってその戦いに勝った者は、すべての人にまさって偉大となった。
自分に拠り頼んですべてを得た者もあれば、自己の強さを頼んで一切を犠牲にした者もあった。しかし、神に信頼した者はすべての人にまさって偉大であった。
アブラハムは無力を強さとすることによって偉大であった。すべての人にまさって偉大であった。愚かさを秘密とする知恵によって偉大であった。自分を憎むほどの愛で偉大であった。・・・・
キルケゴールの弁から、パウロの言葉を思い出します。「だれも自分を欺いてはいけません。あなたがたの中に、自分はこの世で知恵のある者だと思う者がいたら、知恵のある者となるために愚かになりなさい」(Iコリント3:18)。
アブラハムは、そのとおり愚かな者となりました。アブラハムは神を信じ、義と認められ、そして人の目に愚かな道を選びましだ。「神の愚かさは人の賢さに勝る」(同1:25)のです。それゆえ、アブラハムとその子孫イスラエルは、地上のすべての民族を祝福する者となりました。神と結んだ契約のとおりです。
キルケゴールはさらにこう記します。 アブラハムは信じた。だから、彼は若かった。白髪になってはいたが、父となることを願うだけの若さを保ち続けていた。サラは高齢になっていたが、母となる喜びを渇望するだけの若さを失ってはいなかった。ここに信仰の奇跡がある。二人は百歳と九十歳で独り子イサクを得た。(2026年1月25日週報)
