佐久と馬

聖書には、王が増やしてはならないものが3つ書かれています。①金銀、②女性(妻)、③馬です。今日は「馬」と佐久の関係についてです。

信濃(長野)は歴史的に、馬の飼育が盛んでした。朝廷に献上するためです。10世紀の記録では、甲斐(山梨)、武蔵(東京・埼玉・神奈川)、上野(こうずけ。群馬)、信濃の4か所の「御牧(みまき。国の牧場)」があり、信濃は16牧とトップで、2位の上野の9牧に大きく差をつけていました。

なぜ信濃が選ばれたか。第一に、東山道があったこと。育てた馬を移動させるのに適していました。次に、牧場に適した土地があったこと。浅間をはじめとする広大な高原は放牧に良く、涼しい気候は馬に合っていました。

最後に、田んぼがあること。意外ですが、牧場には田んぼが必要でした。前回、主要道沿いに、馬が常駐する宿泊場所「駅舎」を作ることによって、旅人が往来しやすくしたと書きました。朝廷が命令したことでも自費でやれという時代でしたので、富裕層の人々が勅令に応じて自腹で駅舎を作って経営しました。駅舎用の馬を育てるための経営資金が必要です。通常の納税もしなければなりません。経済的な基盤のためには、広い田んぼが必要でした。今度会堂ができる横根は、そういう田園地のひとつだったようです。

信濃は、馬の生産量もさながら、名馬の産出で有名になりました。戦国大名がこの地を欲しがったのは、馬が欲しかったからだと言われます。このようにして、今の長野は全国に軍事力である馬を多く送り出す重要な場所となったのです。

しかし、聖書に書かれている通り、馬を増やした大名たちは、それぞれの時点で力を失い、今は存在しません。ただ、ここから学べることがあります。佐久の土地の良さは、古代と変わらず、大都市からのアクセスのよさと、農業に支えられた豊かさだということです。私たちは軍事力は増やしませんが、この地の利を用いて、主の戦いに必要な力を全国に送り出すことができるのではないでしょうか。馬ではなく、人を育てて送り出すこと。交流して祈り合う場所とすること。歴史はそのことを教えてくれます。(2026年2月8日週報)

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