内陸地コンプレックス(港がないと、だめですか?)

長野県佐久市には、日本一海から遠い地点があります。

 海から遠いというのは、歴史上デメリットでしかありませんでした。戦国時代の最強の武将武田(たけだ)(しん)(げん)の本拠地は、甲斐(かい)(今の山梨)であり、内陸地で港がなくて貿易ができず、非常に貧しい地域でした。彼は、豊かさが海から来ると思ったので、海を、港を手に入れたいと願いました。

 そこで重要だったのが、信濃(今の長野)の支配です。なぜ港が欲しいのに、さらに内陸の信濃へ進むのか。日本海側の港を取りたかったからです。

太平洋側には、強大な戦国大名である今川氏や北条氏の領国があり、この両家とは同盟関係を結んでいました。一方、日本海側の越後(今の新潟)では、大勢力は上杉氏だけで、直江津という良港があり、アイヌや上方(関西)との交易で潤っていました。信玄はここを欲したのです。

内陸地(甲斐)コンプレックスを脱するために、さらに内陸(信濃)へと進む信玄。強い軍勢を率いて、今の佐久を含む信濃を平定しながら北上していきます。川中島(今の長野市)では上杉謙信と10度の戦いをし、四千の兵を失う大打撃を受けながらも、要所の川中島は一応手に入れました。

こうやって手に入れた信濃を足掛かりに豊かな日本海の港を目指しましたが、後年、織田信長が日本の勢力図をいっぺんに塗り替えたころ、信玄は志半ばで病死します。はかない夢ですね。

武田の原動力は、内陸地コンプレックスと言えます。港を領有し豊かになりたい、というのが動機でした。でもどうでしょうか。長野も、歴史的に農業が盛んで、豊かだったのです。港がなくても、田畑があり、食べ物は豊富で、交通も便利です。信玄は強い武将だったかもしれませんが、信濃を信濃として見ず、支配拡大の手段としたように思います。 「港がないと、だめですか」とは、私たちの人生に共通する課題かもしれません。私たちは、こうなれば幸せ、という幸せの形を、経験から規定しがちです。でも私たちは、海から日本一遠い地をわざわざ選んで引っ越してきました。祝福の源泉は主であると、信じているからですよね。(2026年2月15日週報)

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