野辺山原の悪路改善に尽力した親子、島崎徳次郎、勇太郎

現在の国道141号線と言えば、佐久の主要道であり、中山道より車線が多くて運転しやすいですね。しかし江戸時代では逆でした。五街道に属する中山道が主要道で、国道141は「佐久甲州街道」と呼ばれる、脇街道でした。

 佐久甲州街道の中で、悪路で有名だったのが、野辺山原(現在の野辺山駅周辺)です。このような文が残っています。「信州佐久郡野辺山の原は、平沢から海ノ口まで30kmほどの道があり、信州・甲州で最もひどい悪路である。夏や秋の長雨の時は道が沼のようになり、一足進むと後ろ足を抜くことができないほどだ。冬は荒天で凍死する旅人が続出し、春は雪解けで足がズブズブと取られ、人も馬も前進できない」。

 旅人の困難を幼いころから見ていた人物がいました。平沢部落で代々旅籠(宿屋)を家業としていた百姓の、島崎徳次郎です。長い間、野辺山原の道の改善を考えてはいましたが、自力ではどうすることもできませんでした。しかし、61歳の時に覚悟を決め、代官所に道の改修を申請。同時に寄付金を仰ぎ、近村だけでなく、遠くは岩村田や中込方面にまで奔走しました。自らも20両(数百万円)を捧げ、13年の年月をかけて工事を完了しました。

 その後30余年が経ち、その長子勇太郎が、父の後を継ぎます。父の良い行いを見聞し、家庭教育を受けた勇太郎は、平沢峠以北(野辺山宇宙観測所があるあたり)の道改修を志し、父に倣って再び義金を募り、道を整えました。人々には二代目徳次郎と呼ばれ、彼の工事の跡の石が残っています。

 私たちは、道を整えた人を考えません。毎日、当然のように、国道141の便利さを享受しています。道を整えるというのは、そのような性質のものなのかもしれません。バプテスマのヨハネも、イエスのために道を整えましたが、「あの人は盛んになり、私は衰えなければならない」と言いました。  それでも、陰の奉仕を見た人は、この徳次郎の息子のように、感化され、自分も道を整える人になります。私たちはいわば、イエスさまのみことばが人々の心に到達するように、道を整えていく者です。名は残りませんが、その良い行いは、次の世代に受け継がれていくはずです。(2026年3月15日週報)

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