祈りませんか(2)

人間は祈る生き物です。人の体が呼吸することで命を保つように、人の霊は創造主に祈ることで「真のいのち」を維持するのです。祈りを忘れていると、霊が窒息します。

ダビデは祈りで生き抜いた人でした。祈りとは、全能であり愛である神を、自分の「隠れ家」「逃れの場」にすることでもあります。ダビデはこう歌います。「主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら」(詩 18・2)。

祈りこそ、最も堅固な「砦」「隠れ家」です。ダビデはそこで、平安と力を回復し、困難と戦う勇気と勝利の確信を高めていきました。この「隠れ家」の時間がなかったら、ダビデは自滅していたでしょう。

外ではどんなに自分を装っていても、家ではリラックスして家族に自分のそのままを出してしまうように、「隠れ家」では神の前に強がらず、涙してもいいのです。とはいえ、神に「隠れ家」でかくまってもらっているのですから、神に指示を出すような祈りをするべきではありません。礼儀をわきまえ、嘘があってはなりません。神に真実を尽くし、常にくずおれた心で向かい合うべきなのです。

「隠れ家」で神と深く交わっている時間が多い人ほど、謙虚になります。言い訳や弁解が少なくなります。自分を何者かに見せかけることもなくなります。正しいことを確信をもって行うことができるようになります。神から知恵と力を受けるからです。 一日24時間、呼吸が止まらないように、祈りも24時間、無意識にしていると言えるかもしれません。何をしていても、瞬間、瞬間、主に向かって、ひとこと祈りの声を上げることもできます。頭や心が多忙になっていても、あるいは夜中眠っていても、内住の聖霊が自分に代わって祈っていてくださるとも言えます。そんな神との交わりの世界を目指してみましょう。(2026年4月5日週報)

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