何回かに分けて、東山道や中山道など、佐久を通る旧街道の話を書いています。街道沿いは、歴史の変化を肌で感じられます。
たとえば、中山道を通った最大の行列は、和宮の降嫁です。1865年春、江戸幕府が倒れる直前、天皇家と徳川将軍家の協力の象徴として、孝明天皇の妹和宮が、14代将軍である徳川家茂に嫁ぎました。実に一万四千人の大行列で、馬や人足は通常の助郷では足りず、周辺地域全体から労働力が駆り出され、食事の準備だけでも頭を悩ます状況でした。その負担には何の見返りもなく、ただただ藩の財政が圧迫されました。しかし、一般市民まで含めて、国で何が起きているか、いち早く察知できたという意味では、利があったと言えます。
佐久地域の人で、江戸から明治への変化に迅速に対応した人たちがいます。そのひとりは、龍岡城五稜郭を造った大給(おぎゅう)恒(ゆずる)です。旧松平家(徳川の親戚)でしたが、幕府が倒れると、「さっさと」武士の身分をあきらめ、明治政府と良い関係を結び、旧徳川と新政府との架け橋になります。彼は後に日本赤十字設立に尽力し、福祉の分野で国の基礎を築きました。
また、旧中込学校設立に関わった人たち。明治政府が学制を敷き、普通教育が始まったとき、他の多くの地域では「そうは言っても子どもには働いてほしいし」となかなか学校に通わせませんでした。しかし、中込の人々は「すべての人が小学校で教育を受ける」という考えにいち早く賛同し、村人の寄付を募って校舎を建造しました。
佐久は、「田舎のわりには、世事に敏感で、柔軟な対応力と、良い目的に献身するスピリットがある」という印象を持ちます。それが、街道沿いのメンタリティです。
イエスさまは、時のしるしを見分けることを教えました(マタイ16:3)。また、機会を十分に生かして用いなさいともあります(エペソ5:16)。街道沿いの佐久だからこそ分かる、日本や世界の雰囲気があるはずです。よく感じ、見分けて、御国を広げるチャンスにしたいと願います。(2026年3月1日週報)
