神の存在証明2

人間の側からの神の存在・非存在の証明

最初に、結論を述べておきます。

人間には、神の存在証明はできません。しかし、神が存在しないことも証明できません。 そもそも神の存在は、人間の知性による証明の対象ではないからです。それは人間の意志による信仰の対象であって、信じるか、信じないかの問題です。神を信じるのも信仰ですが、神を信じないのもまた信仰です。

もちろん、神の存在を信じる人たちも、信じない人たちも、それぞれの証明を試みます。しかし、両者の試みる証明のすべてが、人間の論理(理屈)や主観的な体験によるものです。

神の存在を信じる人たちは、自分の知識や理屈や体験に合うように説明できたら、神の存在を証明したと思い込みます。信じない人たちは、自分の知識(科学)や理屈や体験に合わないことが説明できたら、神の非存在を証明したと考えてしまいます。

しかし、人間の側からの神の存在証明、あるいは非存在証明というのは、どうしても循環論法になってしまいます。信じる人は、自分が想定した神の存在を証明したにすぎず、信じない人も自分で定義した神の非存在を証明したにすぎないからです。それゆえ、どちらの証明も、相手側の確信にほとんど影響を与えません。信じる人たちは変わらず信じるし、信じない人たちは相変わらず信じないでしょう。人間による神の存在、非存在の証明が循環論法である以上、説得力はほとんどないのです。

「神の非存在の科学的証明は知性的で客観的である」と考えるのは、神を信じない人たちの共同幻想です。神は自然の存在ではないので、自然科学の論証の対象にはなりません。それはもちろん、神の存在証明についてもいえることです。人間視点に立つかぎり、神の存在も信じる者たちの共同幻想です。

(共同幻想とは、みんなで一緒に思い込んでいることです。例えば、1万円札という紙切れに1万円分の価値があるのは、みんながそう思い込んでいるからです)。

しかし、そもそも神は、人間に存在を証明してもらうことで、存在しているわけではありません。逆に、存在しないことを人間に証明されたからといって、それで存在しなくなるものでもありません。また、神の存在が証明できないからと言って、神が存在しなくなるわけでもないのです。

人間の理屈や体験に関係なく、神は存在するなら存在するし、存在しないなら存在しません。神の存在は、人間の理屈に依存しているのではないのです。

そのことをもう少し詳しく、述べていきます。

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