(「神の存在証明4」「5」の続きです」)
②存在を否定された神とは、いったいどんな神なのか(続)
また、道徳的な視点から、このように主張する人もいます。「神が愛なら、なぜ世界は貧困、争い、病気など、苦しみに満ちているのか」「愛なる神がいるなら、なぜ私はこんな目に会うのか。神などいない」と。この場合は、人間の罪や悪などを罰することなく、すべて見逃してくれる愛の神を想定していることになります。これは、「無条件に人間を甘やかすことしかしない愛の神」は存在しないというだけの話です。「義にして愛なる神」の存在を否定できたことにはなりません。
さらに、「神が愛なら、なぜ罪を犯す可能性のない人間を造らなかったのか」という方もおられます。しかし、「罪を犯す可能性のない人間」とは、自由意志もなく機械的に動く生き物にすぎません。心も感情も持たない、ただのロボットです。原子と原子がぶつかり合うだけの世界で、自然法則に従うだけの人間が、そもそも「愛なる神」の存在を探究しようと思うでしょうか。つまり、ロボットのような人間を創造する「愛なる神」は、もともと存在しない、というだけのことです。(ちなみに、自分の創造主を探し求めないことは、人間がロボット化していることになります)。
また、「神が正しい(義なる)神なら、なぜ悪人を罰しないのか」と主張する方もおられます。これも、悪を直ちに裁き、悪人を滅ぼしてしまう無慈悲で非寛容な神は存在しない、というだけの話です。やはり、「義にして愛なる神、寛容で忍耐深い神」の存在を否定することになりません。しかも、そんな人間の罪悪を情け容赦なく罰する神であるなら、もう人類は滅亡しているのではありませんか。
結局のところ、神の存在を否定する理屈をどんなに並べて立てても、人間の理屈に合わせた神は存在しない、あるいは、人間に都合のいい神は存在しない、ということを論証しているだけなのです。つまり、人間が頭の中で、神とはこうあるはずだ、こうあるべきだと定義して、「そうあるべき神」の存在を否定しているにすぎません。そんな神は、実は、最初から存在しないのです。

