「信じる」は「知る」に先立つ②
まことに、人間とは不思議な生き物です。人間は知識を誇っているくせに、実は、「信じる」ことによってしか生きてはいけないのです。
いや、この世界に確かなものは何一つないからこそ、人間には「信じる」という能力が与えられているのかもしれません。不信に満ちた人間社会であっても、基本的には信頼で成り立っています。教育も学問も経済も文化も日常生活も、すべて「信じる」を前提にしています。どんなに知識を増し加えても、「信じる」を土台にしなければ社会や人間関係は成り立ちえません。「信じない」を前提にしていたら、人類社会は崩壊してしまいます。みんなが信じ合うほかないのです。
「信じる」は「知る」に先立ちます。
神と人間、人間と人間の人格的関係も、「知る」ことではなく「信じる」ことで始まります。幼児は親との会話で言葉を覚えていきますが、親を信頼しているからです。幼児が親を疑うなら、言葉や知識の習得はできなくなります。学校で知識を積んでいくのも、教師や教科書を信じてのことです。何事においても、「覚える」「習う」は「信じる」から始まります。
人生もそうです。明日を知ってではなく、明日を信じて生きるのです。結婚もそうです。多くの結婚生活が裏切りと争いに満ちています。相手に裏切られないという保証はありません。将来のことは分からないのです。しかし、わずかな知識で、この人だけはと信じて結婚します。予め相手のすべて知ったら、結婚はできないでしょう。信じて結婚し、一緒に生活して初めて相手を知ることになります。
このように、すべては「信じる」ことから始まります。「信じる」ことからしか始められません。そして、信じることによって、少しずつ知ることができるようになるのです。
神も、「信じる」ことによってはじめて「知る」ことのできる方です。信ぜずして、神の愛、聖さ、全知全能の力を体験することはできません。
「信じる」ことから始めるのは、人間理性にとって決して愚かなことではありません。理性は全知全能ではないのですから、信じることは、むしろ人間存在に本質的に備わった崇高な能力なのです。問題は、何を信じるかです。何を信じるかで、人生観も世界観も決まります。そして、人間は、人間を超えたものを信じることで、理性の領域外の世界に羽ばたくことができるのです。

