神の存在証明13

神による神の存在証明

これまでは、「人間の側から」の神の存在証明について語ってきました。ここからは、当事者の「神ご自身による」神の存在証明について述べていきます。

といっても、結局は、信じるか信じないかの問題になるのですが、それでも、人間の側からではない、神の側からの「神の存在証明」があるのだ、ということをお話ししたいのです。「存在しない者」が、自ら、非存在証明をすることはあり得ません。しかし、「存在している者」なら、自分が存在していることを何らかの方法で証明することはできます。

人間の側の視点でしか神の存在を考えたことがない人にとっては、存在するかどうかわからない神の側からの存在証明なんて、受け入れがたいかもしれません。しかし、存在する神の側からすれば、人間の理屈による証明次第で、自分の存在・非存在が決まるというのも、ばかげた話です。しかも、神にとって、人間は被造物なのです。人間の存在価値がAIサイボーグによって決定されるよりもひどい話だと思います。

さて、ここで語るのは、「聖書の神」自身による、神の存在証明です(他宗教の神々については、「宗教多元主義と唯一神信仰」という別のテーマでお話ししたいと思います)。

先述したように、聖書は、神の存在を人間の理屈に合わせて証明しようとはしません。宇宙の創造者である神を、人間の知性と論理の世界に引きずり下ろすことはしないのです。

聖書の神は、自ら、ご自分の存在を人間に明らかにされました。神の方から、ご自分を示されたのであって、人間の方から神を求めて見つけ出したのではないのです。

聖書は、神の視点と神の論理で語っていきます。神の論理は、聖書の民イスラエル(へブル人)にちなんで、ヘブライズムとも呼ばれたりします。ヘブライズムにおいては、「神が万物の基準」です。

一方、人間を基準にして、人間の理屈だけで探究し、合理的に説明しようとする思考傾向は、ヘレニズム(ギリシア的思考)と呼ばれます。ヘレニズムでは、「人間が万物の基準」です。

なので、「人間の側からの」神の存在・非存在証明はヘレニズム、「神の側からの」神の存在証明はヘブライズムと言えます。

とはいえ、ヘブライズムが人間の知性を用いないというのではありません。そんなことはありえません。私も知性で聖書を語ります。ただ、神の視点を基準として、神の論理に立って、人間の言葉と知性を用いて語るのです。

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