神による神の存在証明2
では、聖書の神はどのようにして、ご自身の存在を明らかにしておられるのか。聖書が示している「神による神の存在証明」は、「歴史」と「自然」と「人間」を通してです。神自身が個々人、あるいは民族に対して示された存在証明です。
(1)歴史による「神の存在証明」
まず、歴史です。聖書の神は、歴史という現実の世界でご自身を現わす神です。歴史性のない神、頭の中の世界だけに概念として存在する抽象的な神ではありません。物語の中に現れるファンタジーの神ではないのです。
聖書の神は、イスラエル民族という共同体、あるいはキリストの教会という共同体の歴史的出来事や事件を通して、ご自身の存在を示してこられました。その共同体も個人も、現実生活の中で神との出会いを体験してきたのです。
確かに、神を体験したからと言って、神の存在の証明になるわけではありません、それは先にも述べた通りです。ただ、この体験は、個人としても民族としても、数千年という悠久の歴史の中で繰り返されてきました。しかも、ほとんどの場面において、下側から人間が求めて出会ったのではなく、上から神が出会ってくださったのです。
出会いというのは確かに主観的なものですが、それでも4千年にわたって、同質の神を体験しているのです。時代や場所や人間、民族は変わっても、変わることのない同質の神です。つまり、唯一なる全能の神、聖なる神、愛と義の神です。この一貫性は、単なる主観で済ませられないものがあります。この歴史的な不変性と一貫性は、人間が頭の中で作り上げることができるものではありません。
さて、ここでは、聖書の神が、ご自身の存在を示しておられる3つの歴史的事実にしぼってお話しします。それは、①神に選ばれたイスラエルという弱小民族が今日まで存続していること、②キリストの十字架の出来事、③教会が始まり世界に広がったこと、です。そしてもう一つ、イスラエルの歴史には、一貫した神の理念(神の計画)があるということも、まとめてとして付け加えておきたいと思います。

