神による神の存在証明8
1)歴史による「神の存在証明」(続き)
⑤ユダヤ人によって教会が始まったこと
次に、神がなさった歴史上の不思議は、教会の始まりです。
人間世界にあって、国や帝国、政治団体、あるいは会社や学校などの社会組織が確立し、発展していくためには、「三つの条件」が必要とされます。a)創始者の才能、資質、b)財力、c)組織力です。
それは、宗教、および宗教団体もそうです。つまり、a)教祖および弟子の資質と恵まれた条件、b)資金力、c)教団組織です。どの宗教や宗教団体もこの三つを土台として始まっています。それは、仏教もイスラムも、さまざまな新興宗教団体もそうです。ガウタマ・シッダールタ(仏陀)は12人の高弟子に囲まれて入寂していますし、ムハンマド(モハメッド)は軍事力まで有していました。私が十代に入信していた神道系の宗教団体も、教祖一家は国立大学の中でも最高峰の出身者であり、財力も各年代の全国組織や政治組織も整っていました。およそ、今日存続している宗教は、教祖が世を去ったとき、すでに土台がしっかりと築かれています。
しかし、キリスト教だけは例外です。「三つの条件」を全く欠いていました。
a)まず、教祖と弟子たちです。いわゆる教祖にあたるイエスは、軽蔑の目で見られていたガリラヤ地方の大工の家の出身で、学歴もコネもなく、指導を仰ぐ人もいませんでした。宣教活動は足で歩いた三年半のみです。自分の教えを著作に残すこともありませんでした。弟子といえば、無教養な漁師や、社会から疎まれた取税人といった人たちで、師の生前に師の真意を理解していた者は一人もいませんでした。
b)イエスには資金もありませんでした。欲すれば、莫大な献金を集めることができたでしょうが、あえて集めようとはしませんでした。また、拠点とすべき土地も建物もなく、時の権力の迫害から身を守る場所も手段もなかったのです。
c)イエスは十二弟子を選出しこそすれ、組織は持たれませんでした。その十二弟子も、内部で妬みや牽制があり、組織化しようとしてもできなかったでしょう。しかも、彼らは師の危険に際しては、あるいは裏切り、あるいは見捨てて逃げてしまうような人たちでした。
そして教祖の処刑です。イエスが十字架で死んだとき、著作もメッセージテープも弟子も財産も組織も何も残りませんでした。しかも、ユダヤの宗教的迫害を受け、圧倒的な権力を持つローマによって処刑されたのですから、当時の社会から百パーセント抹殺されたといっていいでしょう。イエスの宗教運動は人間の目には完全なる失敗です。
しかし、人間の能力、手段、組織、方法がすべて消えてしまったところで、キリストの教会は生まれるのです。カリスマ的な指導者はおらず、宗教的資質を持つ者もいないのに、お金も独自の拠点もなかったのに、突如としてキリストを信じる者たちの共同体がエルサレムに現れました。しかも、ユダや宗教権力者の迫害のただ中においてです。
教会は人間の意図や能力で始まったのではありません。この出来事の背後にあって、歴史を司る神の存在を見るのです。
*実際のところ、復活が歴史的な事実でなかったら、教会は始まらなかったと言えるでしょう。

