神の存在証明23

神による神の存在証明11

2)自然による「神の存在証明」(続き)

自然を通しての「神による神の存在証明」で、私がいたく感動していることを一つだけ紹介しておきます。

それは「生命の神秘」です。

人間には、存在していたい、命をつなぎたい、という強い願いがあります。生存本能です。食欲も性欲も所有欲といった本能も、すべて生存本能のために備わっています。

もし生命が、物質と物質の偶然のぶつかり合いで発生したとするなら、その生命になぜ生存本能が備わったのか。偶然に発生したのだから、消滅することなど恐れなくてもいいのに、なぜ消滅、死を恐れるのか。しかも、人間は他の生命を死に追いやってでも、自分は存在していたいと欲するのです。川の流れに偶然に生じた泡は、また偶然に消えていきます。それが自然です。なのに、偶然の積み重ねで発生したはずの人間が、死ぬまいと懸命に命を維持しようとするのです。不思議です。

このように、人間に死を恐れる心、生存への本能が備わっていること、それは生命を創造された神の側からすれば、「神の存在証明」です。有限なる人間が永遠なる神を求めるために、神が人間の心に「死への恐れ」を埋め込まれたのです。

しかも、死にたくないという本能は、心だけのものではありません。肉体自体も生への強い意志を持っています。たとい心が生きる意志や力を失ったとしても、体は命を維持するための働きを続けようとします。

たとえば、人間が心を病んで死にたいと思い、自分で自分の肉体を傷つけたとします。しかし、体は心の意志には従わず、体全体でその出血を止めるために動き出します。

「出血が起きると、自律神経の作用によって、血管や脾臓の収縮が起こり、副腎からはアドレナリンが分泌される。抹消血管が収縮して、その部分の血流が少なくなり大量の出血を防ぐ」のです(吉岡郁夫著『人体の不思議』講談社新書)。

血液自体にも、出血を止める機能が備わっています。血管が傷つくと、組織液や血しょう中の凝固因子がカルシウムイオンと共に働き、血しょう中のプロトロンビンをトロンビンという酵素に変えます。この酵素は同じく血しょう中のフィブリノーゲンを繊維状のフィブリンに変え、これが血小板や血球と絡み合って血餅となり、傷口をふさぐのです。

このように、体は体で、すべての力を結集して、心の思いとは関係なく、命を守ろうとします。体には生への強い意志ともいうべき、生命維持の仕組みが備えられているのです。

さらにもう一つ、人間の体というのは各部分の優先順位が決まっていて、その順位に従って保護されるようになっています。もちろん体の隅々まで防衛体制は整っていますが、その中でも特に命にかかわる部分は、手足の末端や皮膚よりも大切に扱われるのです。

人間の体も自然の一部です。その体の防衛体制に、命を創造された神の意志を見る思いがします。これも自然界における「神による神の存在証明」の追認です。

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