本物は高価

「(良い真珠を探している商人は)高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う」(マタイ13:46)。

今は百円ショップ全盛の時代ですね。私もその常客で、極力百円ショップにあるもので間に合わせています。そしていつのまにか、百円商品に限らず、何でも安い物を探すようになりました。衣服も靴も電気製品も食品もそうです。キリストの言葉どおり、何を食べるか着るかに頓着しないようにしていると言えば、聞こえはいいのですが・・・しかし、先日、「ゴミは本能的に安いルートを探し当てる」という言葉に出会ってどきっとしました。安物はゴミ箱への道を一直線、と言うことです。おいおい、私は「ゴミ箱」か。

やはり安物で間に合わせていいものと、よくないものがあります。特に、私たちの心を飾るものは、絶対に安物で間に合わせてはいけません。体もそうですが、心も安物になじませると、本物が分からなくなってしまいます。

今は使い捨ての愛、手軽な平安、偽の希望など、安物があふれている時代です。いつも本物に触れていないと、その区別が分からなくなってしまいます。(聖餐式に使っているブドウジュースは無農薬100%ストレートで、紙パック入りの濃縮還元ジュースの5倍の値段です。違いがわかりますか)。

本物を獲得するには、それに相応する労苦を惜しんではなりません。「良い真珠」を見つけた商人は、「出かけて行って持ち物をすっかり売り払い」それを買います。

神の愛は実に高価です。キリストの命が代価として支払われました。高価すぎて、人は、何を差し出しても買えません。それゆえ本物の愛、真の命は無償なのです。無償で受けたので、私たちは、神の愛に自分の全人生を捧げます。

あなたは何に一番お金をかけていますか。何に最も命を注いでいますか。(仕事以外の)何に一番時間をかけていますか。それはそうするにふさわしいほど「高価なもの」ですか。それとも、100円で買えるような安物の愛、希望、平安で自分をごまかして生きていきますか。

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