先日、ある韓国の牧師のメッセージを聞きに行きました。機関銃のようにまくし立てる口から、突然、「祈りなくしては生きられない顔をした女性」という言葉が飛び出し、会場の女性たちがどっと笑いました。私はこの表現のどぎつい婉曲さ(?)に面喰いました。しかし、当の牧師はニコリともせず、「私は彼女に、誰の前でも喜んでいるように勧め、彼女もそれを実践し、男性に好意をもたれるようになった」と話を結びました。私は会場を去った後も、「祈りなくしては生きられない顔」という表現が耳から離れませんでした。
数日して、「祈りなくしては生きられない」という悟りこそ、「神の国の祝福」なのだと思い至りました。「心の貧しい人は幸いである」(マタイ5:3)という主イエスの言葉は、「祈りなくしては生きられない人は幸い」ということでもあるのです。 だれもが「祈りなくしては生きられない」性格や能力、健康状態、経済状態や境遇・・・に苦しんでいるのではありませんか。あるいは、祈りなくしては実現できない願いやビジョンを抱いている人もいるでしょう。しかし、その自覚と祈りこそが、その人を幸いにするのです。かの牧師が例話に出した女性もそうでした。
ところで主は、イスラエルという小さな民族を選び、「祈りなくしては生きられない」ような土地に置かれました。その土地は「乳と蜜の流れる地」でしたが、ヨーロッパ、アジア、アフリカ三大陸をつなぐ要所に位置し、エジプト、メソポタミア、ギリシャ、ローマなどの大帝国に侵略される土地でもありました。イスラエルはこうした国々に翻弄され、艱難辛苦を味わうことになったのです。
しかし、世界から苦しめられたそのイスラエルが、救い主イエス・キリストを全世界に送り出したのです。そして、その方が「心の貧しい者は幸いである」と宣言されました。祈りなくしては生きられない者は幸いです。やがて世界を祝福する者になるからです。それは、イスラエルの歴史に裏打ちされた真理です。
*「祈りなくしては生きられない顔の女性」とは、美人のことでもあります。人からちやほやされて、外見の美しさに自分の価値があるかのように錯覚し、高慢になったり、人生を見誤ったりしないためです。同様に、才能や環境に恵まれている人も、祈りなしには生きられません。祝福する者になるためにも。

