「私たちはこの御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです」(エペソ1:7)。
キリストは私たちの罪の身代わりとなって、十字架で聖い血を流してくださいました。その贖いの血を受けるだけで、罪が赦されます。まさに途方もない恵みです。
でも、なぜ罪は赦されなければならないのでしょうか。罪を抱えたまま生きてはいけないのでしょうか。
それは、罪赦されないままなら、罪が私たちの人生の全体を支配するからです。「罪の支払う報酬は死です」(ローマ6:23)。罪は心を縛り、破滅へと引きずっていきます。その行き着く先は死、滅びなのです。
罪は人生を的外れにします。的に狙って矢を射っても、ことごとく明後日の方向に飛んでいきます。罪が弓を揺らすのです。意図していることがその通りにならないのです。人に優しくしようとして、かえって傷つけます。仲よくしたいのに、相手を怒らせます。家族のために一生懸命働いたのに、家族が崩壊します。生涯愛すると誓って結婚したのに、不倫して家庭を壊します。幸福になりたかったのに、お酒で人生をふいにします。願いとは正反対のことが起こるのです。
「幸せな家族はいずれも似通(かよ)っている。だが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」。トルストイの小説『アンナ・カレーニナ』の冒頭の言葉です。的を射た人生はみな一様に幸福ですが、的外れな人生は、人それぞれにあちこちに矢を飛ばすので、多様な不幸を生み出すのです。
また、罪は人と人との間にくさびを打ち込みます。家族や知人との間に不和、争い、憎しみ、断絶をもたらします。それが罪の報酬である「死」なのです。
「罪=死」とは、本来、創造主とのつながりが絶たれていることです。この断絶が様々な不幸や悲しみをもたらすのです。そして、そのままであれば最終的に「永遠の死」となります。地獄です。愛する人たちとも永遠に切り離されます。罪による呪いです。
それゆえ、罪は赦されなければならないのです。放置すれば地獄です。 罪赦されるためには、キリストを信じ、その血による罪の贖いを受けることです。
罪赦されれば、創造主とのつながりが回復します。主とつながれば、「真のいのち」が戻ってきます。罪の呪いから解放され、的を射た人生が始まります。絶たれていた人との心のつながりが、一つ一つ回復していきます。「これは神の豊かな恵みによることです」。

