ヨブは「無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた」(ヨブ1:2)と称賛された人でした。しかし、その理不尽な試みに遭った後、「それで、私は自分を蔑み、悔いています。ちりと灰の中で」(42:6)と神の前にへりくだり、二倍の祝福を受けます。(新共同訳「自分を退け、悔い改めます」)これがヨブ記の物語です ヨブのような正しい人が悔い改めるというのは衝撃的なことです。しかし、悔い改めたことで、なおさら主の前に正しい人になったと言えるでしょう。
主の前に正しい人は、自分の正しさを悔い改めで示します。正しい者だからこそ悔い改めるのであり、悔い改めるからその人はますます正しくなるのです。一方、正しくない人は「私には、悔い改めなければならないような罪はない」と言い、自分で、自分は正しくないことを証言するのです。
悔い改めとは、「自分を蔑む」ことです。ユダヤ聖書は、「自分を嫌悪する」と訳しています。主を愛し慕うあまり、自分のことは嫌悪し、蔑むほどだというのです。新共同訳は、「自分を退ける」と訳しています。自分は人生の主役の座から降りて、主に明渡すということです。
「塵と灰の上で」とは、自分は土くれで造られた者にすぎないことを認めて、へりくだることです。そうして、自分を主に差し出すなら、主のご計画がその人の上に成就していきます。主の祝福は、へりくだって悔い改める人の所に豊かに流れ下るからです。これが悔い改めと祝福の原則です。
ヨブの議論は、「なぜ私が悔い改めなければならないのか」で始まり、最後は「私は何をどう悔い改めるべきなのか」に行き着きました。高慢から謙虚への悟りでした。ヨブのへりくだりと悔い改めは、ヨブに新たな悟りと祝福の世界を開きました。「あなた(主)には、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました」(42:2)。これがヨブの悟りです。
主の前に正しくありたいなら、自分を蔑み、悔い改めることです。

