偶像処分

O姉が、長年、部屋に置いてあった神棚を処分されました。「やっと捨てることができてほっとしました。あんな人間が作った物には何のご利益もないし、いつまでも置いておいたら神様に喜ばれないと思い、娘たちにも話したら、了解し、喜んでくれました。捨てたら、神様が祝福をくださってね、娘もビックリするほど体が良くなったんですよ」ということでした。

クリスチャンになっても、長年拝んできた仏壇や神棚は、もう拝まないにしても、なかなか捨てにくいものです。主に喜ばれない、何の力もないとは思っていても、何かありそうな気がしてしまうのです。

実は、私も幼い頃から「生長の家」という団体に属し、「甘露の法雨」という御守りを18歳まで身につけていました。大学浪人中にクリスチャンになって、脱会を申し出ましたが、知り合いの大学生から木刀を突きつけられ、思いとどまるよう脅されました。それでもひるまない私に、最後は「脱会したら来年も落ちる」という「呪い」とともに、引き下がってくれました。

しかし、その御守りをすぐに捨てられたわけではありません。何となく不気味で、受験が終わるまで待とうかと弱気になったのです。私は受洗しても、毎週礼拝に出席していたわけではありませんでした。しかし、それでも1か月後の秋には、「こんなものには力はない」と祈り、裏庭で落ち葉と一緒に焼却しました。その年、二つの大学を受験して両方とも合格しました。合格・不合格は御守りとは何の関係もないのですが、それでも呪いの脅しに対する勝利感はありました。 

このことで、当時「生長の家」の会員だった母もまもなく脱会して教会に通い出し、やがて受洗しました。しかし、そんな母にも、嫁ぎ先の先祖代々の仏壇・位牌が立ちはだかりました。これを処分することにはかなり抵抗があったようですが、数年後、未信者の父を説得し、廃棄を決断しました。菩提寺にその旨伝えたら、供養料なしで引き取ってくれたそうです。

偶像は何の力もないのに、私たちがその力を認めて拝むようになると、たちまち私たちの心を支配して縛るようになります。偶像とは、金属、石、木で作った像だけを指すのではありません。お金、人の評価、学歴、見栄、経歴など、心を縛るなら、それは偶像です。クリスチャンになってからは、偶像を一つ一つ、心から取り除く作業が続きました。取り除くたびに、心が軽くなっていきました。

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