私たちは、人間として生まれてきたからには、人間として生きる覚悟が必要です。
人間は永遠を求める生き物です。人生は7、80年なのに、永遠を慕うように造られています(伝道者/コヘレト3:11)。永遠なるものと出会わなければ決して心が満たされることはありません。生涯にわたって永遠を求め続けること、これが人間としての覚悟です。
自分という人間に生まれた覚悟も必要です。この親のもとに、この体と能力と性質で生まれることは選べませんでした。しかし、その自分を生き抜く覚悟をするのです。それは、自分に与えられた召命と賜物で生きていく覚悟です。この覚悟が人生を開きます。人間は自由です。自由にも覚悟が必要です。人や環境のせいにはしない覚悟、自分の選んだことには責任をとる覚悟です。この時代に、この国で、クリスチャンとして生きていく覚悟も不可欠です。結婚したならしたなりの覚悟。親となったらその覚悟。一人で生きるならその覚悟。耐える覚悟、愛する覚悟。ペットを飼うにも覚悟。所有したら失う覚悟。自分の責任ではないのに自分に降りかかったことを引き受けていく覚悟も必要です。そして最後は、この地上を去る日の覚悟です。生きてきた人生を受けとめる覚悟です。
こうした覚悟があれば、何事に動じず、平安に対処できます。覚悟ができるできないかが、いざという時の行動を左右します。ペテロやパウロは、キリストに選ばれ、使徒として立たされた覚悟がありました。危機に直面しても覚悟のゆえの平安がありました。その覚悟が彼らの道を開きました。
もちろん、決めがたい覚悟もあるでしょう。イエス様も十字架を前にしてゲッセマネの園で苦しみ悶えられました。しかし、祈り通して父なる神に委ね、恐れと悲しみを克服されました。私たちにはそのキリストが共におられます。キリストは決して私たちをお見捨てになりません。その約束が私たちの覚悟を助けます。また、復活の希望なしにどうして死ぬ覚悟ができるでしょう。覚悟は希望があるからできるのです。
どのような局面に立たされても、心が騒いでも、祈りが覚悟へと導きます。祈れないなら、ゲッセマネのキリストを思うことから始めてください。覚悟とは主への信頼です。(2003年10月26日)

