「私たちはキリストにあって御国を受け継ぐ者となりました。私たちは御心により計画のままをみな実現される方の目的に従って、このように予め定められていたのです。それは前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえる者となるためです」(1:11、12)。
パウロは獄中にいます。おそらく日の差し込まない狭い空間でしょう。明日は、死が待っているかもしれません。それでも、日のあたる自由な空間にいるクリスチャンたちに向け、「私たちはキリストにあって神の国を受け継ぐ者」だと、熱く語ります。キリストに望みを置く者は、神の栄光を見てほめたたえることになる、と励ますのです。
今、私たちはコロナ禍の中にいて、自由に行動できないでいます。もう1年半にわたって世界全体が、いわば軟禁状態にあります。私たちの心の視野が狭まり、将来に焦りや不安を感じやすくなっています。
1)今の時代を「神の国」という大きな枠組みで見る私たちは神の国を受け継いでいます。神の国という大きな枠組みの中で、「キリストに望みを置いて」今の時代を見定め、自分のなすべきことを祈り求め、将来を展望するのです。自分のことだけを考え、自分のために人を利用するような生き方をするなら、惨めで卑しい人間になってしまいます。クリスチャンは、神の国の計画のために生かされていることを忘れてはなりません。パンデミックは、キリストの栄光を慕い神の国に生きるクリスチャンと、自分中心の狭い世界に生きて希望を失うクリスチャンとに、分けることになるかもしれません。
2)将来から今を見る もう一つたいせつなことは、神の国の計画がすべて実現される将来から、今を見るのです。パウロは、神の国を受け継ぐ日のことを思って興奮しています。私たちもその日には、神の国の壮大さ、偉大さに圧倒されることでしょう。将来の重い永遠の栄光から見れば、今の患難は軽い一時のことです。しかも、私たちはパウロのように牢獄に閉じ込められているわけではありません。
コロナ禍が過ぎ去った後、私たちはこの時期をどのように振り返ることになるでしょうか。悲しみと後悔だけ振り返るのか、それとも、コロナ禍が続いたがゆえに、神の国を受け継いでいることが実感できた、大きな祝福に与った、と感謝することになるのでしょうか。

