ある地方に車で出かけたときのことです。
脇道から大通りに出ようとして、赤信号で並ぶ車の後ろにつきました。すでに10台近くの車が待っていました。しかし、並んでから4、5分たっても、いっこうに青に変わりません。私の車の後ろにも10台ほどの車が並びました。ということは、先頭車は10分近く待っているのでしょうか。
やはりこれは何かがおかしいと感じ、私は運転席を降りて、先頭車の所に行ってみました。すると、そうではないかと思っていたことが起こっていました。信号は、歩行者はボタン押し、車はセンサーで感知するというタイプのものだったのです。ところが、先頭車が停止線の2メートル手前で止まっているので、センサーが作動していないのです。
「なんてことだ、このまま待っていたら日が暮れる。」私は歩行者用ボタンを押して、自分の車に飛んで戻りました。すると、5秒ほどで青信号になりました。 それにしても、こんなに長く待っても青に変わらない信号を、誰もおかしいとは思わなかったのでしょうか。そんなはずはありません。おかしいと思いながら、行動しないのです。先頭車はほんの1メートルほど前進すれば、センサーに触れるのに。
「一歩前へ進めば青になる。しかし、待っているかぎりいつまでも赤」ということが、私たちの人生にも起こります。ヨシュアに率いられたイスラエルがヨルダン川を渡るときもそうでした。川の前で立っているだけでなら、いつまでも何も起こりませんでした。祭司が一歩川に足を踏み入れた時、水はせき止められたのです(ヨシュア記3章)。
もちろん一歩前進してもまったく何も起こらないこともあるでしょう。そのときは別の道を考えればいいわけです。いずれにせよ、むやみに突撃しなくても、一歩踏み出せば、次にどうすればいいかわかります。
すでに時が来ているのに、単なる怠慢で先延ばしにしたり、失敗するかもしれないという恐れや、拒絶されればどうしようという不安で足踏みしたりすることがあります。聖霊の後押しを感じたら、抵抗せずに一歩踏み出してみるのです。その一歩が私たちを新しい信仰の世界、新しい人間関係、未発見の祝福をもたらします。 (2004年1月)

