エペソ書⑭罪過と罪との中に死んでいた者

「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。」(エペソ2:1、2) パウロは、異邦人は「罪過と罪との中に死んでいた者」だと言います。それにしても随分な言い草です。罪過と罪との中で死んでいるとは、どういうことでしょうか。 ひとことで言えば、創造主なる神とのつながりが断たれている、ということです。罪とは死の力であり、死は人を神から切り離します。罪人は自分の造り主と切り離されているので、何のために生きるのか、何をどう生きればいいのか分からず、的外れな生き方をしてしまうということです。

それは、根元から切られて水に漂う草のように、ただ「この世の流れに従う」生き方です。世の価値観、倫理観の真偽を問うことなく受け入れます。世が物質主義なら物質主義なら、無神論なら無神論、学歴主義なら学歴主義、自己中心なら自己中心…というように追随するのです。世の雰囲気に調子を合わせて何色にでも染まります。みんなと同じことをしていないと不安なのかもしれません。それが不正であっても、「みんな同じことをしているじゃないか」と自己正当化します。 パウロはそれを、空中の権威を持つ支配者の霊に従って歩んでいるのだと言います。空中の権威を持つ霊とはサタンのことです。サタンは社会全体を覆う「罪の風潮」「悪の空気」を作るのが上手です。学校ではいじめの空気、社会には差別の風潮、性的退廃、相対的な価値観、人間中心主義の倫理観・・・それらにすっぽり包まれると、「それは正しくない」と声を上げることが極めて困難になります。サタンは欺きが得意なのです。

現代でいえば、テレビやスマホを利用して社会全体に快楽的、反道徳的な雰囲気を作り、罪を犯しても堕落しても、良心に痛みを感じないようにします。逆にスマホで人と人のリアルな対面を断ち、孤独にもします。目に見えない電波を使って、人の心を誘導するのです。それが現代のサタンの国の戦略です。

自分の得た知識と情報で、自由に判断し、自分の行動を決めているようでも、実はサタンに操られています。その行き着く先は、失望、自己破壊、永遠の滅びです。それが「罪過と罪との中で死んでいる」人間の状態です。

しかし、キリストが与える永遠の命は、神と私たちをつなぎ、サタンの支配を断ち切ります。神とつながることで尊厳を回復し、生きる意味と喜びを取り戻すのです。

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