今回は、ホーキングの考える神と宇宙について、抜き書きします。 「・・・私が愛する人たち、私を愛してくれる人たちがいなかったら、宇宙はうつろな世界だっただろう。その人たちがいなかったら、私にとって宇宙の不思議は失われていたに違ない。」
「最後に私が言いたいのは、基本粒子の集まりにすぎない私たち人間が、自分たち自身を支配する、そしてまた私たちのこの宇宙を支配する法則を理解できるようになったという事実は、偉大な功績だということだ。」p36
「私たちの一度きりの人生は、宇宙の大いなるデザインを味わうためにある。」p54
「人びとはこれからも宗教にしがみつくだろう。なぜなら宗教は心に慰めを与えるから。そして人びとが科学を信用していない、あるいは理解していないからだ。」「あらゆることは神(創造者)を持ち出さずに、自然法則によって説明できると考えるほうがいいと思っている」(ホーキングにとっての神とは「創造者」ではなく、「人格を持たない自然法則」にすぎない。つまり、自然法則で宇宙のすべて現象は説明できる)p41
「科学は神という創造者を持ち出すよりも説得力のある説明をすることができる」p51
「私は、宇宙は自然法則にしたがい、何もない所から自発的に生まれたと考えている」
「神は自然法則を破るために宇宙に介入することはできない」p44
「宇宙は陽子と同じく何の助けもなく自発的にひょっこり出現できるだけでなく、ビッグバンは原因がなくても起こりうる、原因はいらないのだ。」
<あかしあの木からひとこと>
ホーキングは、「神が存在しなくても、宇宙の始まりは科学的に説明できる」と言います。しかし、たとえ説明できたとしても、それで神が存在しないことになるわけではありません。彼の議論は、論理的には循環しています。
ホーキングが、「神(創造者)」が存在しなくても宇宙の始まりは説明できるというとき、彼はどんな「神(創造者)」を想定しているのでしょう。ホーキングの考えている「神」と、私たちクリスチャンの信じている聖書の神(創造主)とは違います。彼が「存在しない」という「神」は、彼の頭の中にある「神」であり、もともと存在しない「神」なのです。私たちは、ホーキングが想定した「神」を信じているわけではありません。
ホーキングは信仰が虚構だというなら、彼の科学主義もまた虚構であり、共同幻想なのです。
写真はエン・ゲディのダビデの滝

