ヨーロッパ中世の教会は、古代ギリシャの哲学者アリストテレスの地球中心的宇宙論を採用し、天動説に立っていました。そのため天空を動く太陽、月、火星、水星、木星、金星、土星の軌道があまりにも複雑になり、80以上もの円運動を組み合わせなければ説明できませんでした。
13世紀のカスティーリャ王国アルフォンソ10世は、その複雑な軌道の計算をした人です(カスティーリャ王国はイベリア半島のキリスト教国)。コンピュータのない時代に、よくもまあそんな膨大な計算をしたものです。彼は相当頭のいい人ですが、たった一つの無知のためにこんな傲慢なことを言ったと伝えられています。「もし神が私に相談してくれたら、もっと単純な宇宙を創造するように忠告しただろうに」。
しかし、天体が複雑に見えたのは天動説に立っていたからで、地動説に立てば、単純で美しい宇宙だったのです。実際、「神が宇宙を創造されたのならこんなに複雑なはずはない」と疑い、地動説を立てたのが16世紀初頭のコペルニクスでした(彼はカトリック教会の大管区長)。
私たちも神に造られた者です。人間の心や社会は複雑なように見えますが、人間は、本当は単純な美しい生き物なのだろうと思います。地球を中心とする宇宙観が天体の動きを複雑に見えさせたように、人間中心の思考や価値観が人間の生活を複雑に見えさせるのです。
天動説とは、地球は不動であり宇宙の中心であって、すべてがその周りを回っているのだという考え方であり、地動説とは、地球は太陽の周りを回る小さな惑星であって、宇宙の中心ではないという考え方です。自分を中心に考える傲慢さは、人生を複雑にしますが、神を中心とする謙虚な考え方は、単純で麗しい生活を導きます。
なので、二人、三人が自分の知恵と感情で集まるところには、必ず複雑な争いが生じます。しかし、主の御名によって集まるところには、主が共にいてくださいます。キリストを中心にして考えると、複雑に思えた争いや問題も単純に見えてくるようになります。
主の十字架を見上げるなら、心に謙遜と感謝が戻ってきます。人生を単純にさせるのは、この謙遜と感謝の心です。私たちが謙遜を取り戻しさえすれば、複雑に思えた問題も争いも案外単純なものに見えてきます。人間関係を複雑にするのは、自己中心、傲慢、感謝する心のなさです。
十字架を見上げれば、自己中心の傲慢から、キリストの中心への謙虚への「コペルニクス的転換」が起こります。(2004年6月6日)

