エペソ書⑯キリストとともに生かされる

「しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。――キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所に座らせてくださいました。」(2:4-6)

古代ローマには、犯罪人に死体を背負わせ、生きながらにして一緒に腐らせるという処刑方法があったそうです。私たちは「罪の中に死んでいた者」であり、まさに死体を背負っていたようなものです。罪の悪臭を漂わせながら、次第に腐っていく人生を、それでいいと思っていたのです。そのまま朽ち果ててしまうところでした。 

しかし、神は「大きな愛ゆえに」、罪過の中で死んでいた私たちを、キリストとともに生かし、天の所に座らせてくださいました。パウロはここで「キリストとともに」を三度繰り返しています。それはキリストが私たちのようになられたこと、そして私たちもキリストのようになったことを意味しています。 キリストは、罪人同様「罪の中に死んでいた者」のようになり、罪人として十字架にかかってくださいました。 

キリストが十字架上で叫ばれた「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」(マタイ 27:46)という言葉は、「死」の呪いと恐怖を味わう絶望の表現です。その叫びから、神に見捨てられることがどんなに恐ろしいか想像できます。本当は、私たちがその絶望を味わうはずでした。しかし、キリストが私たちに代わってその絶望をなめ尽くしてくださいました。  

さらに、キリストは「死」に打ち勝ち復活されました。罪の中に死んでいた私たちをもよみがえらせ、ご自身の命で生かすためです。しかも、キリストとともに天に座る者にしてくださったのです。 

クリスチャンとはキリストにつながる者、天に属する者のことです。この世は神の目には「死んだ状態」であり、腐臭を放っています。しかし、クリスチャンは世にあっても世には属さず、キリストとともに天に属しているのです。キリストは「私はこの世の者ではない」(ヨハネ8:23)と言われましたが、私たちも「この世の者ではない」という自覚を持つべきです。何に属しているかが、その人の人生観を形成します。天に属する者であるという自覚は、私たちの人生観、生活感覚を変えるはずです。

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