病気に生き返る

フランスの哲学者ビランがこう語っています。「健康は人間を外に連れ出す。しかし、病気は人間を内へ連れ込む。哲学者であっても健康である間は生とは何であるかということを考えない。一方、哲学者でない人でも、病気を患うと生とは何であるかということを感じる。」  

夏目漱石は胃潰瘍を患い、修善寺で療養したとき、日記にこう記しています。 「病気をしたことにより、私は病気に生き返った。そして、はじめて人の善意がわかった。私はこれから善人になろう。」「病気に生き返る」とは、病気をしたことで「生とは何か」ということを感じたということでしょう。 

ロシアの文豪ドストエフスキーも、「病気をしたことがないという人は信用するに足らない」といっています。苦しみの中でこそ人間というものがわかる、人の善意や痛みがわかるということです。 

病気に限らず、失敗したり壁にぶつかったりした時にこそ、人間の真価が問われます。すべてがうまくいっている時には見えていなかったものが、苦しみの時には出てきます。  希望とは成功している時に抱くものではなく、苦しみや絶望の時に見いだすものです。 

自由の力とは制限や拘束がない時にではなく、むしろ様々なものに縛られている時にこそ行使されるものです。 

忍耐は苦境に陥ってはじめて必要になるものです。 

愛は、愛すべき理由がなくなった時、はじめてその力が発揮されるものです。 

キリストが示された自由、希望、愛はそうでした。十字架で受けられた苦しみや痛みなしには、キリストはキリストではありえなかったとも言えます。 

「順境の日には幸いを味わい、逆境の日にはよく考えよ。これもあれも、神のなさること。後のことを人に分からせないためである」(伝道者 7:14)。

今順調ですか。感謝しましょう。苦しみの時ですか。キリストの愛と希望を深く知る機会となりますように。 (2004年7月25日)

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