エペソ書⑳後の世に示す

「それは後に来る世々において、この優れて豊かな恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜る慈愛によって明らかにお示しになるためでした。」(エペソ2:7)

初代のクリスチャンたちがキリストと共に天に属する者になったという恵みを、神は後世に示そうとされました。 

パウロ自身も、自分が受けた恵みの大きさを後世の人々に知って欲しいと、強く願っていました。ダマスコ途上での劇的なキリストとの出会い、使徒としての選び、異邦人世界への福音宣教、幾たびも死に直面した迫害と患難、その中で多くの教会が生まれたこと・・・・自分のような罪人にもこれだけの恵みを注がれた、だから誰もが同じ恵みにあずかることができるのだ、と。 

神の恵みの豊かさは、賜物や強さにおいてだけでなく、むしろ弱さにおいてこそ現れます。パウロは「肉のトゲ」に苦しんだ人ですが、それが取り除かれるように願って主から受けた答えは次のようなものでした。「私の恵みは十分である。というのは私の力は弱さの上に完全に現れるからである」(Ⅱコリ12:9)。 

『障がい児と家族に自由を――』(ミルトス)を著した正統派ユダヤ教徒カルマン・サミュエルズには、欠陥ワクチンのために視力と聴力を奪われたヨセフという息子がいます。彼は常にポジティブですが、たまに「なんで自分の人生はこんなことになったのだろう」と落ち込むことがあります。そのとき、父のカルマンはこのように言います。「なぜ君がこんな大変な人生を歩まなければならなかったのか、私にも分からない。しかし、君には数百人もの親友がいる。私にはそんなにいない。そして、君の困難な人生によって障がい者支援施設シャルヴァが誕生し、世界中の同じような境遇の人の大きな助けになっている。君は世界を変えることができた。健常な人でもなし得ないことだ。」 

主の恵みの豊かさは、日々、生活の中で恒常的に味わうべきものです。そうして、自ずからその豊かさを人に見せることになるです。

おすすめ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です