エペソ書㉓「壁」

ですから思い出してください。あなたがたは以前は肉において異邦人でした。すなわち手で行った肉の割礼ある者からは、無割礼の者と呼ばれてれおり、そのころのあなたがたはキリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない者でした。」(2:11、12) 

長さ2000キロにも及ぶ万里の長城、2000年以上も前に築かれたこの城壁は、月からでも肉眼で確認できる唯一の人工物と言われていました。万里の長城は北方遊牧民族と南方農耕民族を分かつ、いわば「隔ての壁」でした。今日、世界中に数えきれないほどの「隔ての壁」が築かれています。人類の歴史とはまさに、人と人、民族と民族との間に「壁」を築く歩みでした。万里の長城はその「敵意の歴史」を象徴的に物語る遺物といえましょう(万里の長城は月からは見えないそうです)。

さて、この節で描かれているのは、ユダヤ人と異邦人の間の壁です。ユダヤ人にとって、異邦人は「無割礼の者」「メシヤから見離れた者」「神の選びの民イスラエルからは除外された者」「救いの約束とは無関係な者」「望みない者」「神のない者」でした。

「無割礼の者」とは異邦人への蔑称であり、神に見捨てられた者、劣った者という含みがあります。異邦人は、ユダヤ人から見れば「地獄の火の燃料」となるべく運命づけられた望みのない者でした。「隔ての壁」というのは実際にエルサレムの神殿にあったもので、もし異邦人がその壁を越えて内部に侵入するなら死刑に処せられたといいます。

「隔ての壁」は目に見える壁だけではありません。言語、肌の色、習慣、食べ物、性格、感じ方、出身地、身長、年令、性、能力などが違うといっては、さまざまに壁を築きたがります。さらには、話し方、食べ方、髪型、匂いが気に食わない、とまで言い出します。教会でも、聖書解釈、礼拝の仕方、祈り方、賛美の仕方、伝道の仕方などの違いで壁を作ります。人間は小さな違いで細かく壁を築きたがる生き物のようです。

しかし、違いがあれば必ず「壁」ができるわけではありません。実は私たちの心の中に「壁」が築かていて、それが小さな違いをとらえて「壁」を外に作り出していくのです。今あるすべての壁は人間の心から出てきたものです。まずこの壁を打ち壊さなければ、いくら外の壁を壊しても無駄です。すぐに作り直されます。 この強固な「心の壁」を壊すのがキリストの十字架です。

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