エペソ書㉙「キリストの囚人になれば自由」

「こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となった私パウロが言います。あなたがたのためにと私がいただいた、神の恵みによる私の務めについて、あなたがたはすでに聞いたことでしょう。先に簡単に書いたとおり、この奥義は、啓示によって私に知らされたのです」(エペソ3:1~3)

パウロは自分を「キリスト・イエスの囚人」として紹介しています。どういう意味で彼はキリストの囚人なのでしょうか。

このときパウロは文字通りの囚人でした。キリストを異邦人にも伝えようとしてユダヤ人に訴えられ、カイザリヤに2年、ローマに3年、牢獄につながれました。そのローマの獄中からこの手紙を書き送ったとされます。

パウロは、ユダヤ人と異邦人の「隔ての壁」が打ち壊されて、両者が共に神に近づけるようになったというキリストの奥義(2章)を、何としても異邦人にも伝えたかったのです。それは主から受けた使命であり、それゆえ投獄されたのですから、まさに彼は「キリスト・イエスの囚人」です。

パウロはまた、以前は罪の奴隷であったのに、キリストに代価を払われて解放され、キリストの奴隷となりました。つまり所有者が変わったのです。その意味でも、パウロはキリストの囚人です。キリストに収監されているので、キリストの意のままに、いつでもどこでも使われるという身分です。

囚人パウロは自由でしょうか。自由です。まさに自由です。キリストは「あなたがたは真理と知り、真理はあなた方を自由にする」(ヨハネ8:32)と言われました。キリストの囚人であるとは、真理に支配されることです。真理に支配されれば、世の縛り、我欲、自己中心から解放されます。キリスト以外のものすべてから自由です。しかし、キリストを知らず、キリストに支配されなければ、キリスト以外のすべてのものに支配されます。

キリストの囚人であるとは自由の最高の表現です。ですからパウロは「キリスト・イエスの囚人」とであることを誇りにしているのです。パウロは実際、キリストの権威の下のみで動きました。それがパウロの人生を最大限に生かすことになりました。それゆえ、大胆にも「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました」(Ⅱコリント4:8)と言えたのです。

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