「それを読めば、私がキリストの奥義をどう理解しているかわかるはずです。この奥義は前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や「霊」によってキリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されました。その奥義とは、福音によりイエス・キリストにおいて、異邦人も共同の相続人、ともに一つの体に属する者、同じ約束に預かる者となるということです」(エペソ3:4—6)。
奥義とは、隠されたもの、ミステリーです。新約以前の時代には人間の目からは覆い隠されていたものであり、アブラハムもモーセもダビデも預言者たちにも、はっきりとは知らされていなかったことです。彼らはその奥義が明らかに示される日を待ち望んでいました。地上では遂にその日には立ちあえませんでしたが、その日が来ることは確信していました(ヘブル11)。
しかし、ついにキリストとともに、その日が来ました。奥義が聖霊により使徒や預言者に啓示され、もう隠されたものではなく、明かされた真理になったのです。私たちはアブラハムやダビデたちでさえ受けられなかった恵みを受けているのです。
では、その奥義とは何か。ここでは、ひとことで言えば、キリストの教会のことです。2章で見たように、ユダヤ人も異邦人もキリストの十字架によって一つにされ、ともにキリストの体である教会につながり、神の国の共同相続人になるのです。
アブラハム契約は、イスラエルが異邦人の祝福の源になることを約束しています。しかし、キリスト以前は、異邦人が神の国の祝福を受けられるとしても、ユダヤ教に改宗し、割礼を受け、モーセの律法を守らなければなりませんでした。しかし今は、キリストを信じることだけで、ユダヤ人も異邦人も共に罪赦され、神の宝の民、聖なる国民となります。この奥義は重大です。異邦人とユダヤ人が和解し、神の家族として一つになります。人類が一つになれるとしたら、これ以外に道はありません。そして、この道以外に、人類の未来に希望はないのです。
今、人類は多くの局面で存亡の危機に立ち、ヒューマニズムの立場で、政治的駆け引きや科学技術などを駆使して、懸命に危機を回避しようとしているように見えます。しかし、おそらく解決はないでしょう。人間の心と肉体に巣食う「罪の原理」を無視しているからです。人間がどんなに英知と人道主義で理想を掲げても、結局は罪の力によって潰されます。それは人類の歴史が繰り返し実証しています。なので、もう同じ試みや実験を歴史書のページに加える必要はないのです。
人類の希望は、人類がへりくだって、キリストの奥義に立つこと以外にはありません。

