人間の常識とは偏見のコレクション

「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことである」。アインシュタインの言葉です。彼も、自分の偏見、人の偏見を克服するのに苦労したのでしょう。 

実際、私たちが蓄えてきた知識、情報で、偏ってないものは何一つありません。偏った教育を受けてきましたし、新聞や雑誌から偏った視点の情報を摂取しています。NHKは「中立、公平、客観」をモットーにしていますが、それこそ偏見・歪曲です。中立を目指しても偏るのが情報です(特に最近のNHKは偏った報道や番組が目立ちます)。 

今、日本と中国・韓国の関係は、歴史教科書、尖閣列島・竹島(独島)の領有問題などで緊張していますが、これは事実かどうかの問題ではなく、偏見と感情の問題であろうと思います。どの国の国民も自国寄りの知識、情報しかなく、政府も「中立、公平、客観」の立場は取れるはずがありません。アメリカのイラクに対する見方、イスラム諸国のアメリカに対する見方、およそ国際情勢に関して日本に届く情報はすべて偏っています。この世にあっては、だれもが偏見のコレクションにならざるを得ないのです。 

では、偏らない視点というのはあるのでしょうか。あるとすれば、それはキリスト教の唯一神です。なんとキリスト教嫌いの養老孟司さんがそう言っています。聖書の神は全知だからです。確かに天地万物を創造された全知全能の神こそ、「中立、公平、客観」です。本来、「絶対、不偏、永遠、不変、中立、公正、客観」といった性質は、唯一なる神だけに属するものです。人間に当てはまる言葉ではありません。 

「主は義によって世界をさばき、公正をもって国民にさばきを行なわれる」(詩篇9:8)。私たちは聖書の教え、知識こそ絶対であると信じ、この方に自分の考え方、感じ方を合わせようとしています。今まで身につけた偏見を創造主の見方で正そうとします。そして、私たちの常識を、神の言葉のコレクションにしたいと思います。私たちが耳にする人や世界の様々な情報に関して、創造主の見方で判断できるようになるために。(2005年4月17日)

おすすめ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です