「これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、私たちの主キリスト・イエスにおいて成し遂げられた神の永遠のご計画によることです。私たちはこのキリストにあり、キリストを信じる信仰によって大胆に確信をもって神に近づくことができるのです」(エペソ3:10-12)。
19世紀の後半、ドイツの哲学者ニーチェが「神は死んだ」と宣言し、今後2世紀の間、ニヒリズム(虚無主義)が西欧世界を席巻すると予告しました。キリスト教の世界観、価値観に終止符を打ったというのです。果たしてそのとおり、20世紀の西欧はキリスト教の絶対的な世界観、価値観を受け入れなくなり、教会に通う人たちは激減してしまいました。フランスなどは今や無神論の国と呼ばれ、相対主義、多様性を唱える哲学の旗手になりました。
アメリカも20世紀後半にはポストモダンと呼ばれる時代風潮が広がり、「自分の感覚で各自が正しいと感じることを行え」(士師記21:25のもじり)と唱えられ、「自己啓発」「自己実現」の世俗哲学が中心になっていきました。今も、「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った」というイザヤの預言通りの現象が続いています(53:6)。教会でさえもその影響を免れてはいません。そして日本も、相変わらずアメリカの風潮に追随しています。
しかし、ニーチェが「神は死んだ」と宣言したのは、西欧のキリスト教会が作り上げた神学体系の神のことであって、イスラエルの神のことではありません。「天にある支配と権威」は今も厳然としてあります。世の大勢や風潮がどうであろうと、「主キリスト・イエスにおいて成し遂げられた神の永遠のご計画」も、何も変わってはいません。なのに、相変わらず「死んだ神」を研究し、「人間を基準とした神学」に立とうとするのは残念です。
私たちが「キリストを信じる信仰によって大胆に確信をもって」近づこうとしているのは、今も生きておられるインマヌエルの神です。信仰を信条的に告白して近づくのではなく、慈しみの笑顔で招いておられるので、恐れなく近づくのです。

