昔から、真夜中に重要な決断をしてはならない、手紙を書いてはならない、と言われます。人の心は夜闇に影響されるからです。夜に書き上げた手紙を、朝、光の中で読み返し、感情的な部分を書き直すというのはよくあることです。しかし、電子メールの今は、画面に思いのまま書いてクリックすれば終わりです。
夜闇の中で、人はろくなことを考えません。ユダがキリストへの裏切りを決行したのも夜でした。「ユダはパン切れを受けるとすぐ、外に出て行った。すでに夜であった」(ヨハ13:30)。しかし、夜が明けると「無実の人の血を売って罪を犯しました」と後悔するのです。そして、その日のうちに首をつってしまいます(マタイ27:1-5)。
夜、不安や焦りの中で思い煩いあれこれ考えることは、まったく時間の無駄です。「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します」(マタイ6:34)とキリストが言われたとおりです。不安な夜は何も考えずに寝るに限ります。不安で眠れなくても、何も決めず行動もせず、朝の光照らし出されるまでは待つことです。
闇は夜だけではありません。怒りや憎しみや疚しさも闇を心につくります。「兄弟を憎んでいる者は、今もなお闇の中にいるのです」(Iヨハ2:9)。心が闇なら祈ることもできません。祈れないまま決めることは、たいてい悲観的、否定的、破壊的なことです 朝、光を浴びれば目も体も覚めます。心もキリストの光にさらせば、闇の不安や恐れから解き放たれます。キリストは「闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に招いて」くださる方です(Iペテロ2:9)。
クリスチャンは思い悩み始めたら、心が沈み始めたら、人のことを悪く思い始めたら、まず主の光に身を投じます。光に照らされて闇を追い払い、「主にあって喜ぶ」ことを回復します。何か問題が起こるとすぐに闇の中にはまる習慣を断ち切ります。とにかく光の中に出るのです。クリスチャンは「光の子」なのですから。(2005年9月4日)

