シンドラ―社製のエレベーターで死亡事故が起こり、調査の結果、同社製が人を閉じ込める頻度は他社の3倍に上ることがわかりました。ところが、同社の弁解がふるっています。「エレベーターに閉じこもりは付きものです」。なるほど・・・。でも、そんなことを平然と言う会社はとても信用できません。最初から事故が起こることを容認しているのですから。
ある待合室の壁に「失敗したっていいじないか、人間だもの」(相田みつを)という額がかかっていたそうです。確かに人間は失敗します。でも、場所が悪い。病院の待合室です。そんな病院に自分の体を任せたいと思いますか。手術に失敗して、そんなことを言われたら激怒するでしょう。
私たちは罪人です。罪を犯したくなくても、肉の弱さで犯す悲しさがあります。だからといって、「罪を犯したっていいじゃないか。人間だもの。罪人には罪が付きものだ」という理屈は通りません。結婚の誓約のとき、新郎新婦が「節操を守れなくたっていいじゃないか。お互い人間だもの」という態度なら、牧師は司式するでしょうか。「失敗、怠慢は人間に付きものです」という求職者を、会社は採用するでしょうか。
確かに、私たちの主は、人間の肉の弱さを知っておられ、憐れんでくださいます。しかし、それを肯定されるわけではありません。
主は第一に、私たちの誠実さを問われます。
「主は誠実な者を保たれ」(箴言31:23)
「正義と誠実を追い求める者は、いのちと正義と誉れとを得る」(箴言21:21)のです。
弱さはあっても、誠実さの基準を甘くしてはなりません。誠実を尽しても、人は罪や失敗を犯してしまうのです。そのときは赦しを請うことができます。でも、最初から罪を犯すつもりなら、どのように赦しを請えばいいのですか。そのこと自体を悔い改めなければ、赦しは閉ざされてしまいます。
私たちの祈りはこれです。
「私は、誠実に歩みます。どうか私を贖い出し、私をあわれんでください」(詩篇26:11)。
(2006年7月16日)

