幼稚化してませんか

「社会が成熟すると、人間は成熟しなくても生きていける。社会が成熟すればするほど、人間は無能力になり、幼稚になっていく」と、哲学者の鷲田清一氏が警鐘を鳴らしています。 

社会が「未成熟な時代」は、お産、しつけ、修理、結婚、老人の世話、死の見取り、葬儀、埋葬まで、すべて自分たちでこなしてきました。私の育った村でも、ほとんどが手作りでした。農作物はもちろん、味噌、醤油、漬物、餅から、縄、篭まで、屋根ふき、墓掘りもそうでした。でも今や、その技術の多くは失われました。 

成熟した社会では、病院、学校(学習塾)、公共施設などにすべてお任せです。自分で自分の命の世話をする能力はもはやありません。カネさえ出せば専門職の人たちが代わりにやってくれます。勉強法、運動法や健康法、化粧法なども、プロが個別に教えてくれます。その一方で、自分のことは自分で全部できる人はいなくなってしまいました。記憶力が衰え、漢字も書けなくなってきています。 

それゆえ鷲田さんは、現代人は幼稚化していると憂えているのです。幼児は自分独りでは何もできないからです。 しかし、もっと憂慮すべきは、自分の人生までも人任せになってきていることです。世の流れに乗って、ただみんながしているように生きます。自分の人生の意味や目的について深く考えなくてもいい、信念などなくてもいいのです。人間観、倫理観、世界観など曖昧でもいい、必要なら専門家の受け売りで済ませられます。人類に危機が迫っていても、専門家が何とかしてくれます。ただ自分の感情と欲求に従い、目の前のしたいことをしてればいい・・・であるなら、親にすべてをやってもらうだけの幼児と同じです。 

聖書は、大人のクリスチャンになれと命じます。「物の考え方において子どもであってはなりません。・・・考え方においてはおとなになりなさい」(Ⅰコリ 14:20)と。キリストを土台にして世界観、価値観、倫理観を築き、生きる意味と目的を明確にせよ。そのとおりに生きよ。いつまでも「乳」ばかり飲んでいないで、「堅い食物」を食べ「経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人」(ヘブル 5:14)になれ。 

大人のクリスチャンは、人に愛されることより、人を愛することを旨とします。すでにキリストの無償の愛を受けているからです。父、子、聖霊の神が、日常の暮らしに関わってくださいます。主イエスは「人間の模範」を示してくださいました。聖霊は、個々人に内住し、聖書を使って個別に指導してくださいます。私たちは、ちゃんと自分で考え、判断し、そのとおりに生きられるように整えられているのです。聖霊による訓練を始めませんか。

2007年2月4日

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