魂の自給自足

自給自足というのは大変な能力だと思います。 

私が子供の頃、農家では田畑の農作業に関わることはもちろん、多くのことを自前で行い、多くの物を自分の家で作っていました。麹、味噌、醤油、甘酒、餅、おかき、各種漬物など保存食品、竹かご、草鞋、筵、縄から小道具、木炭、家畜小屋、壁、屋根吹き、塀、障子、布団、服飾、飾り付け、そして竹とんぼ、水鉄砲、竹鉄砲、竹馬、そりなどの遊び道具にいたるまで、竹や木、土を材料とした自家製でした。出産も家、結婚式も披露宴も家、臨終も葬儀も家で行われました。これをどの家でも当たり前のようにやっていたのです。それができるようになって、一人前でした。もちろん自給できないものも多いのですが、田舎の人はずいぶん多才だと思います。

しかしそれも今は昔、田舎でもほとんどのものをお店で買うようになってしまいました。「社会が成熟すると、人間は成熟しなくても生きていける。社会が成熟すればするほど、人間は無能力になり、幼稚になっていく」とは、鷲田清一さんの論です。

社会が未成熟な時代は、お産からしつけ、結婚、老人の世話、死の見取り、葬儀、埋葬まで、すべて自分たちでこなしてきましたが、今は病院や学校、公共施設などに頼っています。自分で自分の命の世話をする能力を失ってしまったというのです。

何も知らなくても、お金さえ出せば、すべてを社会のシステムに任せることができ、専門分野の人たちがすべてをやってくれます。コンピュータなどの機器ともなれば、専門家の助けを受けなければどうにもなりません。自分のことは何でも自分一人でできるという人がいなくなった社会です。 

しかし、体と肉の命に関することはともかくも、自分の魂については、自分で決断し、自分で聖書を読み、自分で信じ、学び、訓練し、忍耐し、自分で祈り、賛美して、自分で成長していかなければなりません。お金を払い、手っ取り早く、人に任せてやってもらうというわけにはいかないのです。だからこそ、毎日、デボーションを続けることが必要です。聖書だけで魂の自給自足はできます。

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