世界は隠れた「三六人衆」で支えられている

ユダヤのタルムードによれば、この世界は、日々神の心に接している敬虔な三六人の人々によって支えられているのだそうです。農民や職人といった庶民として目立たぬ生活を営んでいますが、彼らの隠れた誠実、正義、謙虚などの徳によって世界は保たれているというわけです。しかし、伝説によると、彼らは自分の存在を見破られると、そのとたんに消えてしまいます。つまり、隠れた所でしか善行ができない人々なのです。 

実際、謙虚に正しく生き自分の使命を果たそうとしている人たちは、称賛されることを好みません。道徳や自己犠牲の模範のように宣伝されることは、謙虚な人には気恥ずかしくて耐えられないのです。キリストが「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい」「施しをするとき、右手のしていることを左の手に知られないようにしなさい」(マタイ6:1、3)と言われたのもうなずけます。 

政治家から一般庶民に至るまで、十戒違反、不義不正、道徳的退廃、自己中心。それだけを見ていると、よくもまあこんな世界が持ち堪えているなあと思います。それでも存続するのは、こうした隠れた所で献身的に、正しく良い行いをしている人たちがいるからなのです。 

2011年の東日本大震災や原発事故では、メディアには顔も名前も出ない人々が、いのちの危険を冒し、あるいは不眠不休で、自分の職務や使命を遂行しました。存在も働きも知られないで、重要な役割を果たした人は多いことでしょう。その人たちによって日本は守られたのかもしれません。 

私たちクリスチャンは、いわば「三六人衆」の役割を果たすべく世に遣わされています。自己宣伝、自己顕示、自己称賛は恥じるべきですが、とはいえ、知られてしまうことに過度に神経質になる必要もありません。ただ、人には知られずとも、神が知っておられれば平安だ、という信仰があればいいのです。「隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます」(同6:4)から。

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