美しく、気持ちの良い日本語を話したいと思いませんか。
日本人は敬語を大事にする民族です。日本語の敬語には尊敬語と謙譲語があります。世界でも、尊敬語と謙譲語の両方を持っている言語は希でしょう。日本語の特質である敬語を生かさない手はありません。敬体(ですます体)、そして尊敬語と謙譲語をうまく使いこなすだけでも、品性が整えられていきます。
尊敬語とは、相手を自分よりも高くして表現する言葉です。たとえば、ご覧になる、召し上がる、いらっしゃる、おっしゃる、などです。また、尊敬の助動詞「れる、られる」でも表されます。一方、謙譲語とは、自分を相手よりも低くして表現する言葉です。たとえば、拝見する、いただく、参る、申すなどです。
そんな区別をして話すのは面倒くさい、煩わしい、形式的だと思われるかもしれません。でも、相手と自分の距離を測り、相手の気持ちを配慮して、敬語が使い分けられるようにすることは、日本人が風土と文化の中で培ってきた思いやりと謙譲の精神なのです。
心が謙遜であれば、相手に合わせて、敬体や、尊敬語や謙譲語が口から出てきます。敬語を使おうとすれば、心もへりくだってきます。良い心は良い言葉を慕います。そして、良い言葉が良い心を訓練し育てます。たとえば、主語を「ワシは」で始めれば「食うぞ」とぞんざいな述語になりますが、「わたくしは」で始めれば自ずから「いただきます」と、丁寧な謙譲語で終わります。決して「わたくしは食う」とは言いません。謙譲語で始まれば、謙遜な言葉で結ばれるのです。
もちろん、心と言葉が一致していなければなりません。確かに、心を清めず、言葉だけを清めても、口先だけの「巧言令色」になってしまいます。でも、私たちは、すでに心に聖霊をいただいているのです。聖い霊からは聖い言葉が生まれます。
「あなたがたの言葉が、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい」(コロサイ4:6)。
聖霊を意識していれば、心が研ぎ澄まされ「塩味の利いた」言葉が自ずから生み出されてきます。 2011年9月4日

