怠け癖(勤勉な人には不要な話)

脳学者によると、人の体や頭はすぐに怠けたがるのだそうです。パウロ風に言えばこうなります(ローマ7:18-20)。「私の心は、勤勉でありたいと願っているのですが、私の体と頭の中には怠けたがる性質があり、それが私の勤勉を望む心に対して戦いを挑み、私を、体と頭の中の怠けたいという欲望の虜にしているのを見いだすのです。もし私が怠けているのであれば、それはもはや私自身ではなくて、私の体と頭のうちに怠け癖です。」

箴言の記者がこんなことを言っています。「怠け者は言う。『獅子が通りにいる。私は広場で殺される』と」(22:13)。

これは恐怖心ではなく、怠け心で言っています。自分の怠惰の弁解です。頭の中で「ライオンが通りにいる」というバーチャルリアリティー(仮想現実)を作り出し、「なので外に働きに出られない」と自己正当化しているのです。

怠け者であっても、「なすべきこと」はわかっています。しかし、「なすべきこと」をなそうとはせず、怠けるための理由をいろいろ考えます。「なすべきこと」をなさない自分を弁護するための知恵を絞るのです。「箴言の記者はそれを見越したかのように、「怠け者は、良識ある答えをする七人の者よりも、自分を知恵のある者と思う」(26:16)と皮肉っています。

でも、クリスチャンには勤勉に働くための原動力があります。それは、主の十字架の恵みへの感謝と喜びです。パウロによれば、その感謝と喜びは、したい善を行えない自分の惨めさを実感すればするほど大きくなるようです(ローマ7:24、25)。どうしようもなく惨めな自分が、それでもキリストの恵みによって救われていることへの感謝と喜びです。

「獅子が通りにいる」という「仮想現実」(言い訳)を創作して自分の怠惰癖を弁解し人の批判をかわすより、努力したいと思っても怠けてしまう自分の惨めさをそのまま主の前にさらけ出すことです。言い訳の知恵を出そうとしても、機先を制して阻止し、そんな惨めな自分が救われて神の国に入っていることに感謝するのです。怠け癖の克服は感謝と喜びから始まります。(2025年10月19日週報)

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