長野の初期のクリスチャンたちは、どんな活動をしたのでしょうか。
① 英語の聖書研究会・・・最初期の1870年代、長野師範学校の英語教諭の
浅川広湖(もと日本メソジスト甲府教会牧師)は、師範学生のために自
宅で英語の聖書研究会を開き、その中から聖書を学ぶ人も出ました。月
2回の生徒伝道が始まり、日基の長野教会の成立につながりました。
② 廃娼演説会・・・1888年の信濃毎日新聞による「廃娼論と存娼論」掲載
を期に、紙上討論が盛んになり、1891年には教会、キリスト教青年会、
長野禁酒会の主催で「廃娼演説会」が開催されました。論者には文部省
官僚から牧師に転身した平岩愃保がおり、娼妓や妓楼は帝国憲法にそむ
くことであると主張しました。
③ 災害支援・・・1891年濃尾大地震が発生し、罹災者・被害者救済の運動
が始まりました。長野で活動していたカナダ人宣教師ダンロップらクリ
スチャンが慈善音楽会を開催し、長野県知事など大勢が参加しました。
④ 教育機関(看護学校、小諸義塾)・・・聖公会のウォーラー宣教師を助
けるため、1894年神戸からミス・ジェニー・スミスが長野に移り、看護
師養成学校「慈恵医館」を始め、病院設立を目指して看護師養成と伝道
を進めました。また、同じころ、小諸の懐古園内に校舎が残る「小諸義
塾」を木村熊二が建て、キリスト教土台の青年教育を進めました。
⑤ 音楽教育・・・上水内部長野唱歌会が誕生し、音楽専門学校の役割を果
たしました。音楽の研究や演奏会を通して、俗的な音楽を改めるという
矯風的な目的を掲げて活動しました。
⑥ 婦人の会・・・日本基督教団の信徒である小島ひろは、超教派の婦人た
ちをまとめる「基督教北信婦人親睦会」を結成しました。これは、②の
廃娼運動に関する意識統一をめざした会です。一方、長野聖公会は、婦
人会が設立し、日清戦争の傷病者介護に従事したカナダ人ミス・スミス
の活動を、実働的・経済的に支援しました。
このような教育的・社会的な宣教活動が、長野で展開されました。(2025年11月30日週報)
