佐久市岩村田にある「佐久ホテル」は1428年創業で(もちろん創業当時
はホテルという名ではない)、諸侯大名や高僧、明治以降では皇室や政治家
などに愛用された老舗ホテルです。開湯600年の天然温泉の風呂は、美肌の
湯ということで有名です。そのホテルの創業者篠澤家に、代々伝わる家系図
があります。その表がわには、「アベマリア」「アルファ、オメガ」などイエ
ズス会の絵柄が織り込まれた、西陣織が使われています。
江戸の最初期、まだ1614年の禁教令が出ていない時期、イエズス会の神
父が中山道で江戸から京都への旅の途中、佐久ホテルに泊まり、その西陣織
の布を篠澤家に渡したと言われています。篠澤家は代々キリシタンだったの
で、それを家系図の表がわとして用い、門外不出にすることで、迫害を逃れ
ました。一度佐久ホテルの温泉に入り、篠澤さんとお話ししたいですね。
中山道は神父の通り道であり、多くのキリシタンが生まれました。さら
に、1614年の禁教令が出たあと、全国のキリシタンは家をたたんで地方に
移住するケースが多く、隠れキリシタンが集まって生活する場所が、今の長
野県にも複数できました。そこには、ひそかに十字架を配したマリヤ観音像
がいくつも残っています。
カトリックの神父は、長野の様子をローマに送りました。ロドリゲス神
父は浅間山の様子を報告しています。「…信濃の国に旅を続けた。この国は
有名な山の中にあり、この山は時々小石まじりの多量の火をふき、それは遠
くまで飛び、周囲の人々にも又近くを通る人にも非常に危険である」。ま
た、ディエゴ・パルド・メンブリラ神父は、バテレン追放令で捕まり投獄さ
れ、1616年国外追放されましたが、2年後再び日本に来て、長崎から山形
まで布教しました。彼はローマへの報告の中で、「松代(長野県長野市松代
町)には行かなかった」と書いています。なぜわざわざ、松代に「行かな
い」ことを報告したか。当時松代には、多くのキリシタンがいたからです。
令和6年の宗教年鑑では、長野のキリスト教系教会数は149(全国14位)、
信者数は約1万1千600人ほど(全国20位)。信仰を伝えた人々、守った
人々が長野にも多くいました。この信仰の火をまた燃え立たせたいですね。(2025年12月7日週報)
