はじめに 「無学な普通の人って?」
キリストの弟子であったペテロとヨハネは、イスラエルの指導者や長老、律法学者たちからは、「無学な普通の人」(使徒4:13)と呼ばれています。「普通の人」とは標準的な人、特別な権威も地位も富もない人のことでしょう。さらに「無学な」という形容動詞がつくと、教養や学歴もない人、いくらでも替わりがいる人、といった侮蔑的な響きを持ちます。しかし実は、こうした「無学な普通の人」たちがキリストの使徒となり、ローマ大帝国の市民生活をひっくり返していったのです。
ペテロとヨハネはもともと漁師です。生活のための漁の方法と、商売のためのギリシア語と、そしてユダヤ人としての聖書の素養以外に、特別な教養はなかったと思われます。しかし、キリストと出会い、神の国の祝福を広げるにはそれで十分でした。
私は無学な貧しい農家で生まれ育ちました。両親は共に小卒の学歴しかなく、しかも父は身体障碍者でした。山村の学校(今は廃校)での通信簿は平均3。算数は好きでしたが、特別に秀でた教科はなく、まさに普通の子でした。ただ、小学生のころ、自然の中で好きなことに夢中になれたのは、本当に幸いでした。川で魚釣り、山で忍者ごっこ、神社の境内でソフトボールといった毎日で、真っ黒に日焼けしていました。
もう一つ幸いなことがありました。それは出会いです。ある日、町の教会の牧師夫妻とフィンランドの女性宣教師が、なんと我が家で教会学校を始めたのです。祖父は熱心な仏教徒、母は神道系の新興宗教信者という家なのに、よくそんなことを許したものです。村の子どもや大人が10人ほど集まりました。今から思えば不思議な光景です。私はこの時に聖書の主な人物を知り、子供讃美歌を覚えました。残念ながら、私だけは長続きせず、2年ほどで離脱しました。学校の勉強のことが気になり、聖書を学んでも成績は良くならないと思ったからです。
大切なのは出会いです。私の場合、小学生の時に牧師夫妻と宣教師に出会い、イエス様を知ったことは大きな恵みでした。大学に入ってから、再び聖書に戻ることができ、大学卒業後は、聖書の世界に熱中するようになりました。そのことが私の人生を意味のあるものに変えました。
聖書の世界に親しみ、御言葉に熱中すること、それが子供たちを神の国の働き人に育てます。であれば、たとえ世の基準で「無学で普通」と評価されても、ペテロやヨハネのように主の役立つ者となれるのです。逆に、どんなに学校で良い成績を収めても、それだけでは「人間をとる漁師」にはなれません。
あの小学時代を振り返り、返す返すも悔しいのは、聖書を学ぶのを止めたことです。このハニーノート・フィッシャーズには、そんな悔しさが込められてもいます。私は、子供たちに聖書の世界に深入りしてほしいと切に願います。学校や受験の勉強で狭められた視野が取っ払われて、神の国で主から受けている自分の役割が見えてくるからです。
さて、このハニーノート・フィッシャーズを使う上で大切なのは、①まずは、御言葉を、御言葉のまま学び、解釈や感想は問わないこと、②とにかく、毎日、坦々と学び続け、それを習慣にすること、です。
子供に限らず、大人の方にも使っていただけると思います。内容は聖書そのままです。ただし、大人のクリスチャンでも、聖書をきちんと読まなければ、正しく答えられないかもしれません。
あかしあの木出版 http://acacia.heteml.net/

