三つの楽しみ

『断食の報酬』という本に、三種類の楽しみが語られています。それは「不正な楽しみ」「正当な楽しみ」「聖なる楽しみ」です。

「不正な楽しみ」とは、この世の快楽、罪の楽しみです。この快楽に馴染むと、私たちの霊性(主とのつながり)は損なわれ、心の卑しい人間になっていきます。「聖なる楽しみ」は、主なる神を知り、御言葉を学び、主と交わり、主の御心を行う楽しみです。主との関係が深まり、聖い人間に造り変えられていきます。

「不正な楽しみ」は、クリスチャンにとっては喜びにはなりません。「肉の体」が一瞬 楽しんでも、心には疚しさ、罪責感、敗北感が残るだけです。「聖なる楽しみ」は、「肉の体」が一瞬 痛んでも、心には解放感、勝利感が広がり、喜びとなります。

さて、問題は「正当な楽しみ」です。この楽しみは、それ自体では罪ではありません。無害です。無垢な楽しみです。それを楽しむことは許されています。たとえば、レクレーション、一般芸術、知識、情報、テレビ、音楽、ゲーム、スポーツおよび観戦などで楽しむことです。これらは適度であれば知性、健康、精神状態に寄与します。

しかし、主との深い関係へと直接高めることにはなりません。聖書は、これらを楽しむことを禁じてはいませんが、それゆえクセモノなのです。それらに没頭し、過剰に時間をかけやすいからです。そうなると、主との交わりの時間を奪い、その質を下げることになります。この無垢な楽しみの時間を正しく制御し管理することは、霊性を高める上でとても大切です。

「不正な楽しみ」は日々の生活から消えても、「正当な楽しみ」とうまく付き合うことは生涯課題になります。「正当な楽しみ」を管理する方法とは、「聖なる楽しみ」を暮らしの土台にしっかりと据えることです。「聖なる楽しみ」を第一優先にしていれば、「正当な楽しみ」もおのずから豊かになっていきます。

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