私は殺人を犯したことがありません。逮捕されるような詐欺や泥棒をしたこともありません。およそ、法律に触れるような犯罪に手を染めたことがありません。また、家族を捨てたり、不倫をしたりしたこともありません。では、世界中の人が私のような人間になったら、平和で幸福な世界になるでしょうか。残念ながら、答えはNO!です。
あなたはいかがですか。世界中の人があなたのようになったら世界は平和になる、殺人も泥棒も姦淫も詐欺も不正行為もなくなると思いますか。
世の中には「いい人」と呼ばれる人々がたくさんいます。彼らは完全ではないけれど、ある程度優しくて、ある程度誠実で、そんなに自己中心でもなく、不正なことをしたら良心が痛む人々です。あなたもそんな「いい人」の部類に入るのではありませんか。そして、だれもがあなたぐらいの「いい人」になれば、世界は平和で幸福な状態になるのではないでしょうか。
いいえ、そうはなりません。実は、社会の悪や腐敗は、悪人によってではなく、「自分はまあまあいい人間だ」と思いこんでいる人々によって醸成されていくのです。テレビや新聞などで報道される犯罪人や極悪人は、私たちに「私はあんな悪人とは違って善良な人間だ」と思わせてくれます。彼らは裁判にかけられ、ほとんどは処罰されます。 しかし、「自分は善良な市民だ」と思っている人々の小さい悪は見過ごされ、明るみに出ることはありません。そうした善良な市民の小悪は処罰されることなく、社会の底に沈殿していきます。その積り積もった小悪のヘドロが、私たちの生活環境で悪臭を放っているのです。
凶悪犯罪が起こると、それは「社会環境が悪い。政府が悪い」と述べたてる知識人や新聞があります。「自分たちは正義だ、善良な市民だ」という立場で、批判を展開するのです。でも、自分も社会に悪を沈殿させている者だとは考えません。ただ自分の正義を立てて社会を上から見降ろしているのです。この高慢こそが、悪臭の発生源になります。聖書でいえば、パリサイ派のような人たちです。
主イエスはそんなパリサイ人にこう言われました。「あなたがたは今、『私たちは目が見える』と言っています。あなたがたの罪は残るのです」(ヨハネ9:41)。言葉だけで社会を批判して、自分は身を切ろうとはしない現代のパリサイ人より、自分の罪を見てへりくだる者の方がはるかに社会の浄化に貢献しています。

