時間とお金の使い方

 ある80歳のスイス男性が、人生を振り返って何にどれだけの時間を使ったかを計算したら、だいたい次のようになったそうです。睡眠に26年、仕事に21年、食事に6年、並んで待って5年、不安に苛まれ思い煩って5年、洗面と髭剃りに228日、子供と遊んだのは26日、ネクタイを結んで18日、煙草に火をつけて12日。そして、心に喜びを感じたのは26時間。

 あなたも今までの人生を振り返り、計算してみませんか。スマホ(SNS),テレビ、ゲーム、家族との交わり、教会の兄弟姉妹との会話、祈り、聖書の学び、そして、「心に喜びを感じた時間」は、どのくらいになりそうですか。主日礼拝だけも、「世悪露媚の時間」は1年間で200時間にはなると思います。でも、毎日を主とともにある喜びの時間として過ごせば、丸ごと喜びの人生になります。

 もう一つ、別の話です。若い頃からクリスチャンとして誠実に生きてきた男性が天に召されました。葬儀が終わったあと、娘たちが母に尋ねました。「以前、お父さんにうちには財産はどれだけあるのと聞いたらね、しばらく考えて、4千万ぐらいかなあ、と笑っていたけど、まさか我が家にそんなお金はないわよね」。すると、母親は嬉しそうに笑って答えました。「地上にはね」。4千万とは、40年あまりの信仰人生で、忠実に主にささげてきた献金のことでした。夫婦で天に宝を積んでいたのです。

 地上に蓄えたものではなく、主にささげたものが私たちの真の財産になります。とはいえ、金額の多寡のことではありません。お金だけのことでもありません。主から受けている賜物もそうです。どれだけ主に誠実に自分自身を主に捧げてきたかが問われるのです。主イエスの『タラント』のたとえ話と同じです。 時間とお金や賜物の使い方を、もう一度、主の視点で考え直してみませんか。(2025年10月26日週報)

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