感謝する、感謝されなくても

今年は「ありがとう」の言葉を増やしたいと思います。あらゆる機会に
「ありがとう」の声をかけるのです。
佐久に来てから、スーパーTURUYAのレジを通るときは、いつも「こんにち
は」の挨拶をかけてきましたが、さらに「ありがとう」を付け加えていま
す。レジの人は、当然の仕事をしているだけで、買い物客に感謝されること
など期待してはいないでしょう。だからこそ、「ありがとう」を言うので
す。「ありがとう」は、彼女らを認め、笑顔にする言葉でもあります。
昨年入院したとき、部屋に来る医師、看護師、清掃員の方々に「ありが
とう」を言っていました。特に看護師さんは安い給料で重労働です。入院患
者から感謝されるどころか、文句や無理難題やイライラをぶつけられること
もあります。この方々も患者に感謝されようとは思ってはいません。だから
患者からの「ありがとう」が励ましになるのです。
聖書は、主に感謝することを命じます。「いつでも、すべてのことについ
て、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい」
(エペソ 5:20、Ⅰテサロニケ 5:18)。その感謝の源はキリストの十字架にあ
ります。私たちは人生で何を失っても、この恵みのゆえに感謝する心だけは
失われません。
むろん、キリストは私たちに感謝されるために、自分の命を犠牲にされ
たのではありません。ご自身の本性が愛だからです。私たちに愛を現わすた
めです。それが主の喜びであり、それが主の栄光になるからです。主は、罪
人に感謝されるかどうか関係なく、罪人のために十字架の苦しみに耐え、命
を捨てられました。「自分のたましいの激しい苦しみのあとを見て、満足す
る」(イザヤ53:11)のです。だからこそ、その無償の愛に感謝するのです。
「ありがとう」を言うのは喜びです。感謝されなくても心を痛めませ
ん。私たちはキリストの心を受けているのですから、キリストと同じよう
に、感謝を求めずに兄弟姉妹や、人々に愛を表していきます。しかし、人の
愛、親切、柔和、忍耐、奉仕に対しては心からの感謝を言い表していきま
す。小さな「ありがとう」から周囲が変わります。佐久も変わります。(2026年1月4日週報)

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