神の存在証明26

<おわりに>

以上、神の存在、非存在について、人間の側からの人間の理屈による証明と、神の側からの神の論による証明を語ってきました。「人間を万物の基準とする」という立場と「神が万物の基準である」とする立場です。

人間による神の存在、あるいは非存在証明というのは、人間が神を定義し、条件付け、それに適合するなら神の存在を認め、適合しないなら存在を認めない、というものです。しかし、「人間を万物の基準」として議論するかぎり、どのように証明してみても、存在する神は存在するし、存在しない神は存在しません。

一方、神による「神の存在証明」とは、神がご自身の存在を、神の論理と方法で、歴史と自然と人間の中に現わすというものです。「神が万物の基準」なのです。神の存在の仕方に触れた者は、神の存在を神の論理に従って体験、追認することになります。

そもそも、神の存在をどのようにしたら証明したことになるのか、人間にはわかりません。神が人間の五感を越えた存在であるなら、五感の情報だけで神の存在・非存在を証明することはできません。しかし、聖書の神は、人間の五感を越えた方でありながら、その五感の世界にご自身の性質と力を表わしておられます。それが、神の側からの存在証明です。しかし、人間の側からは、それを体験したからといって、それで客観的に神の存在証明ができたといえるわけではありません。ただ、神は存在を現わしておられるということを追認し、確信していくのです。

もう一度、まとめます。

①人間の側からは、神の存在証明も、非存在証明もできません。

②神の側からは、ご自身の存在を証明しておられます。

人間の本質は「信じる」ことです。「信じる」ことからしか「知る」ことはできません。科学の知識でさえ、人間の五感と理性を「信じる」ことで成立しています。神の存在を否定する人たちも、そう信じているにすぎません。

私も、「神による神の存在証明」を「信じる」ことで、聖書の神を「知って」いるのです。人間の側から「神の存在証明」ができたから、神を信じているのではありません。

これで、私の「神の存在証明」の話は終わりです。

いずれ、二つのことをあらためて話したいと思います。

一つは、なぜ私は聖書の神を信じることになり、牧師にまでなったのか、です。

もう一つは、「神は存在しない」と信じる無神論の生き方と、「神が存在する」を信じる生き方の違いです。この違いを突き詰めている無神論者は、日本にはそう多くはないと思います。

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