「それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです」(エペソ1:6)
1章の前半には、「栄光をほめたたえる」という表現が4回出てきます。神が天にあるすべての霊的祝福をもって祝福してくださったのは、神の栄光がほめたたえられるためです。私たちが神に選ばれていたのも、神の子どもとされるのも、すべて神の栄光を現すためです。人生の目的とは、すべての霊的祝福を用いて神の栄光を現すことだといえます。 人間は「神のかたち」に造られています。それは、人間がこの地上に神の象徴として立てられていることを意味しています。 例えばトヨタ車はトヨタという会社の象徴であり、「トヨタのかたち」を表しています。会社は最高の技術を用いて、最高のものを造り出そうとします。そうして造られた製品は、その会社そのものであり、会社の栄光を現すことが期待されています。その製品が高性能であればあるほど、会社は信用を高め、繁栄を築き、栄光を極めていくことになります。ついには、トヨタという社名だけで信用されるようになるのです。 人が「神のかたち」に造られたのも、神の栄光がほめたたえられるためです。神の栄光を現すとは、人が「神の作品」として、神のご性質、神の愛と義、聖さ、力をいかんなく発揮することです。 道路は自動車にとって会社の栄光を現す場であるように、日常生活は私たちにとって神の栄光を現す場です。私たちは人生の計画も、神の栄光を中心に立てます。今日という日も神の栄光を現すためにあります。それゆえ、一日を始める時、どのようにして神の栄光を現わすべきか、思い巡らすのです。 パウロはこの手紙を獄中から書いています。獄中にあっても、神の栄光を現すことを第一に考えていたことがわかります。 ヘンデルは20数日間、食事も忘れて作曲に取り組んだことがあります。「何を考えているのですか」と聞かれて、「神の栄光」と答えています。こうして作曲されたのが、あの「メサイヤ」です。(2003)

