NHKの今年(2004)の大河ドラマは「新撰組」です。ドラマ自体は見ませんでしたが、「新撰組」を愛する若者たちがスタジオに集った特集番組を見ました。そこで話題になったのは新撰組の旗印「誠」です。新撰組は幕府に忠誠を尽くしたわけですが、では「あなたにとって誠とは何か」という質問が、司会者から投げかけられました。若者らは、「命をかけられるもの」「信頼して生きられる確かなもの」「純粋」といった答えを出していました。彼らも何か絶対的なもの、信じられる不変の価値を求めているのです。
しかし、この若者らの答えに噛み付いたのがゲストのラサール石井氏や江川紹子氏といった人たちでした。この二人は、いわゆる「白け世代」、ノンポリ世代に属しています。石井氏自身も認めていましたが、絶対的な価値を信じない人たちなのです。「すべては変化している。相手も自分も常に動いている。絶対的なものなんかない」「命をかけるというけれど、間違っていたらどうするの」と、二人は若者らに水をかけました。
実は、私も両氏と同じ世代なのですが、彼らの発言はちょっと不愉快でした。「この二人は全然変っていないな、昔のままだ」と思いました。「すべては変化している、自分も常に動いている」と言いますが、彼らのこの考え方自体は30年前とまったく変っていないのです。つまり、既成の権威や価値が否定され破壊され、何も信じられるものはない、というあの当時の風潮に染まったままなのです。
二人は「絶対的なものはない、すべては相対的である」という時代精神に身を投じています。それが彼らの「誠」であり、相対主義が彼らの「絶対的なもの」なのです。「(自分の信じるものが)間違っていたらどうするの」という問いかけは、両氏自身に向けられるべきものだと思いました。
若者の一人が言いました。「信じているものに情熱をかけたい。もし間違っていたら、その情熱が間違っていることを教えてくれると思う」。
パリサイ派サウロ(使徒パウロ)がそうでした。絶対的に信じられるものがなくて、何にも情熱をかけられず、中途半端に生きる人生より、信じて情熱をかける人生の方がはるかに優れていると思います。
「絶対的なものは何もない」という信仰からは、愛も情熱も生れません。自己矛盾しているからです。「誠」がないからです。愛や情熱は、絶対的なものを信じる信仰からのみ生まれるのです。(2004年1月18日)

