私が初めて『コーラン(クルアーン)』を読んだのは、2001年9月11日のイスラム過激派テロ組織アルカーイダによる、アメリカ同時多発テロが起きたときのことでした。
あの事件以来、多くのイスラム研究者や識者が、イスラムは「平和を愛する宗教」であって、テロリストたちはコーランの教えに背く人たちだと解説し、イスラム弁明に躍起となってきました。日本のキリスト教会でも、ムスリムはクリスチャンと同じ神を信じる兄弟姉妹だ、と主張する牧師たちがいました。しかし、コーランを読むと、どうしてもそうは思えませんでした。
コーランには「異教徒は見つけ次第殺せ」とはっきり書いてあります。実際に、教祖ムハンマド(モハメット)は、商人というより、戦争の指導者であり、何度も剣をとって戦っています。7世紀から始まった「イスラムの大征服」は、今のサウジ・アラビアから始まり、西は、北アフリカのベルベル人の地域、そしてジブラルタル海峡を渡り、スペインにまで及びました(スペインが800年近くイスラムの支配下にあったことは忘れ去られたかのようです)。そして、東はイスラエル、イラク、ペルシャ、現アフガニスタン、ヨーロッパ方面はトルコからギリシャ、果てはウィーンまで攻め込んだのです。
剣による征服、それこそがコーランの教えです。
「片手にコーラン、片手に剣」は誤解だという弁明が、今も書物にもネットにも溢れています。『コーラン』(岩波文庫)の翻訳者でありイスラム研究の権威であった井筒俊彦氏も「『片手にコーラン、片手に剣』は・・・歴史的には必ずしも真理ではなかった」と、訳者の解説に書き記しています。しかし、コーランと歴史をどう読んでも誤解とは思えません。まさにイスラムの真理であり、ムハンマドが導いた歴史の事実です。
その点で、イスラム法、コーランの研究者・飯山陽氏が2018年に刊行した『イスラム教の論理』は、私にはすとんと落ちる本でした。こんなにはっきり書いて、この人テロの対象にならないのかな、と心配になるほどでした(日本国内にはおられないようです)。
『コーラン』は、ムスリムにとって絶対的典拠です。それに反することを言えば、死刑です。飯山陽氏はこう書いています。『コーラン』によれば、「異教徒は抹殺の対象である」。「多神教徒である日本人も殺すべき敵である」。「イスラムを世界に広げる戦いがジハードであり、同じ信仰を持たない者にはテロという手段をとるのは当然である」。「イスラムは平和の宗教という通説は、そうあってほしいという心情の表明であって、客観的論拠に基づいてはいない。イスラムの平和とは、イスラムが(剣で)覇権を握ることによって確立される秩序の下での平和にすぎない」。
本書は、アラビア語で啓典を研究した人が語るイスラムの本質です。

